yahhoのレゾンデートル


 湘南の田舎から日々雑感
by yahhosaito
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

グランドゼロ

2017年5月18日。

ニューヨークから戻ってもう3週間近くになる。

グランドゼロ。
何と言っても、あまりにもインパクトが大きい。もう17年も前の話になってしまったが・・・

グランドゼロとは「爆心地」という意味。あまりにも有名になってしまったこの場所はこの日を境にアメリカのみならず世界を変えることになってしまった。

ジョージ・ブッシュは2001年1月20日に第43代米国大統領に就任した。
しかし、その年の9月に未曾有の大事件同時多発テロが起こる。

それをきっかけにイラク戦争に発展、米国も1000名を超す死者を出す結果となった。

イラク戦争は開戦根拠の大量破壊兵器の存在が見つからず、批判を浴びたり、リーマンショックに端を発した世界同時不況、更には記者会見中にイラク記者から靴を投げられるなど、あまりいい印象はなかった。

グランドゼロ(WTC)はまさしくマンハッタンの繁華街。
位置的にはダウンタウンと呼ばれるマンハッタン島の先端部分にあり、歩いて10分ほどの所には金融の中心地ウオール街がある。
50階クラスのビルが林立している。

現在はWTC跡に2つの(南棟と北棟)モニュメントが作られている。
一辺が70mほどの正四角形で深さが10mほどあり、更にその中に一辺20mほどの窪みがあり、水が滝のように流れ落ちる構造になっている。

b0158170_19474339.jpg

周囲は亡くなった全員の名前が刻まれてあり、花も挿してあった。
最先端のビジネス街で働く若者はきっと嘱望されていた人材だったであろう。
それが、テロという行為に犠牲になった。

b0158170_19490979.jpg

我が家の911も記憶に生々しい。

あの日、上の娘が夕刻に成田からシアトルに向けて旅立った。
会社から22時少し前に我が家に着き、玄関に入った瞬間、「お父さん大変!」と妻が叫んだ。慌ててテレビを見ると2機目がビルめがけて突っ込んだ。
キャスターの久米さんも右往左往していた。

ハイジャックされた飛行機が11機という報道もあった。娘は大丈夫か!?
今頃、シアトルに近い空を飛んでいるはずだ。
しかし、どうすることもできず、深夜2時過ぎに取り敢えず寝た。

朝、7時過ぎに我が家にある男性から電話があった。「ハイジャックのことはご存知だと思います。
実は娘さんを預かっているのでご安心ください。」というバンクーバーからの電話だった。

一人旅だった娘は機内で事情が呑み込めず、ポカンとしていた。
まだ当時大学生。全米の空港は閉鎖され、着陸できない。
付近の飛行機はカナダのバンクーバーめがけて一斉に着陸。
市内のホテルは事情通に押さえられ、娘は相変わらず成すすべもなくポカン。

事情を察した近くの日本人男性は携帯で全容を把握していて、もしよかったらカナダの友人の家に留まらないかと誘われた。
異国で知らない男性から宿泊のお誘い。
覚悟して誘いを受けることにした。

結局5日間、米国に入国できず、カナダの男性宅にお世話になり、数日後、無事帰国した。旅の目的のポートランドの友人宅には行けなかったが、バンクーバーの観光地を案内してもらい、それなりに充実した旅行だったようだ。
その後、彼と交流が出来、我が家に泊まったり、娘の結婚式にも出席してくれた。

人生は分からない。

今回のニューヨークで3人の大統領とリンクしてみると、「ブッシュは911」「オバマはハドソン湾」「トランプはトランプタワー」

ブッシュの時代はまず9.11のこと、そして、グランドゼロを思い出す。



[PR]

# by yahhosaito | 2017-05-19 06:51 | 海外・クルーズ | Comments(0)

現場に来て思う事

2017年5月9日。

「現場」に来て改めて思うことがある。
報道で事件や内容を克明に知ることが出来るが、一方で、実態を見ているわけではないので、その感じ方にはなにか距離感がある。
しかし、実際にその現場に立つと印象がだいぶ違う。
なんて言うか、平面的から立体的に変わるというか・・・
虚像から実像に変わるというか・・・

今回のニューヨークでは「ハドソン川」「グランドゼロ」「トランプタワー」などでその感じを強くした。

「ハドソン川」
今から9年前、2009年1月15日、US1549便は、ニューヨークのラガーディア空港を離陸し、1分後、高度850mほどの上空で鳥の群に遭遇してしまう。

b0158170_06162650.jpg
その鳥は、体長60cm、体重が4kgもある大型のカナダガン。
両エンジンが破壊され、推力を失いマンハッタン島西側のハドソン川に緊急着水。
乗客乗員全員155名が助かったことから「ハドソン川の奇跡」と呼ばれた。

何回もTVでその様子が報道され、全容は理解しているはずだったが、実際に現場に行ってみるとまた感じ方が違ってくる。

まず、ラガーディア空港とマンハッタン島とハドソン川の位置関係。

なるほど、こういう位置関係・距離感で起こった事故であり、この状況での機長の判断だったのかと分かる。

離陸して間もなく両エンジンが全く効かなくなり操縦不能、グライダー状態になった。
ラガーディア空港に戻るには大きく旋回して10数キロを滑空しなくてはならない。850mの高さではそんな余裕はない。

上の写真はエンパイアステートビルの86階から撮った。
86階はたぶん350m位だから、この2倍強の高さだ。かなり低い。
地上には大都会が広がっている。

比較的近くにあるテターボロ空港は旋回途中にあるビジネスジェットなどが使う小さな空港だが、高度1000mではここまでも持たないと機長は判断する。
万が一、失速して墜落したら地上は密集地帯、大惨事は必須だ。

そして選んだのはハドソン川への着水。

その時の管制との交信が残っている。
「エッ!ハドソン川・・・!?」
管制官が聞き直すほど、異常な事態だった。

何年か前、インド洋で着水に失敗し125名の死者を出す大惨事が起きている。着水時、胴体より先に片翼が海面に触れ、機体のバランスが崩れ機体が大破した。
サレンバーガー機長はもちろんそのことは知っているはず。
しかし、それしかなかった。

ハドソン川は大都会マンハッタン島の横を流れる川だ。川幅は約1000m。
高さ184mのジョージ・ワシントン・ブリッジもある。川には市民の足であるフェリーや観光用の遊覧船も多く走っている。一歩間違えば市民も巻き込んでしまう可能性も大きくあった。

b0158170_06161640.jpg
確かに、我々自身も観光船に乗り川からマンハッタン島を眺めたものだが、視界には20~30隻の船が走っていた。

US1549便は橋をスレスレでかわし、機首を上げて速度を抑え、時速230kmで着水。この時、着水進入方向と川の流れが一致したことなどが衝撃を和らげる要因となったと言われている。

しかし、1月15日、真冬のハドソン川の水温は2℃、気温は-6℃。
何とか無事に着水はしたものの機内では厳しい状況は続いていた。
機体後部から浸水し、徐々に沈む機体の中での155名の脱出。着水してから4分20秒後に救助の船が到着している。これは偶然ではなく機長があらかじめ港に近い場所に着水したという。近くのフェリーなどが一斉に救助に向かい、着水から23分後には全員救助された。

我々の船も、もしかしたら救助に向かったかもしれない。

遊覧船のガイドが盛んとデッキでしゃべっていたが、生憎、英語を理解できないのでその内容はさっぱりだったのが残念。

「あの出来事は決して奇跡ではないし、自分がヒーローであるとも思っていません。私は普段の訓練どおりのことをしただけです。全ての乗客、そして乗務員が一致団結したからこそ、1人の犠牲者もなく、全員助かったのだと私は思っています。」
記者からコメントを求められ、サレンバーガー元機長はこう話している。

人間、極限状況に置かれると、人間性が出る。逃げる人、立ち向かう人、尽くす人。自己を犠牲にする人。
何年か前に「ポトマックの悲劇」という事故があった。
その何年間前、同じく真冬のポトマック川に架かる橋に激突し、墜落したエアフロリダ機の事故があった。5名の生存者を残し78名が亡くなった。
この時、救助隊の命綱を2度も譲った男性や救助のために氷結する川に飛び込んで女性を救助したという報道があったことを記憶している。

以上は改めて大筋をネットから頂いた。
N.Yでの体験を併せて思うとき、事実は小説より奇なりと痛感する。

昔、職場の同僚O君は、情報処理の現場でシステムダウンという事故(極限状態)が起こると、なぜかやたらに張り切りだし、その事故究明に抜群の才能を発揮したことを思い出した。元々優秀だった彼は非常時に更に更なるエネルギーを燃やすタイプだった。

改めて、現場に立つとその事故の生々しさが際立つ。
あの橋があそこに有って、川にはフェリーがこんな形で沢山浮かんでいて、大都会がすぐそこに存在して、真冬の空や川面はこんな感じだったんだろうと思うと現実に起きた事故に驚愕する。



[PR]

# by yahhosaito | 2017-05-09 06:36 | 日々 | Comments(0)

ニューヨーク

2017年5月6日。

GWもあと1日で終わりだ。
現役時代は次第に迫ってくるGW明けが恐ろしく、ブルーマンデイならぬブルーGW(明け)が記憶に生々しい。
今は毎日が日曜日。
有りがたいといえば有りがたいし、なんだか現役組に申し訳ないような気もする。

4/23から4/30までニューヨークに行ってきた。
妻と長男夫婦の4人旅。
全くの個人旅行で、航空券もホテルもすべて自前手配。
行先も勝手気ままプランで行き当たりばったりの旅。

アメリカは新婚旅行のGUAMに始まって、カンザス州のローレンスとラスベガス、数年前のアラスカに続いて4回目だと思う。
今回のニューヨークも突然浮上した旅行だ。

思い付きのような形で実現したニューヨークだったが、思いの外、インパクトがあった。

そして感じたこと。
■何と言ってもさすがに世界のニューヨーク。大きい。
■セントラルパークのスケールの大きさとこの場所に作った先人の知恵。
■人種の多さといろいろな人々、職種
■米国、サンフランシスコとニューヨークの距離感
■新しい国の割に街の持ってる歴史感
■グランドゼロの重さ
■自由の女神の存在感と意味
■メトロポリタン美術館の大きさ
■st.(ストリート)の風情
■大きいスーパーと小さいスーパー
■渦中だったはずの北朝鮮問題と報道の量(少い)
■ニューヨーカー達

b0158170_21242665.jpg
混雑する朝のウォール街

b0158170_21234796.jpg
グランドゼロ 亡くなった全員の名前が刻まれている

b0158170_21233140.jpg
セントラルパーク前の道で

b0158170_21231585.jpg
ハドソン川沿い朝の12AVe.

b0158170_15041360.jpg
セントラルパークは木の芽どき

b0158170_21240433.jpg
USエアウェイズ1549便がハドソン川に着水したのはたぶんこの辺と思う


今回の旅を一言でいうと、「人や生活を見る旅」といったことかもしれない。
従来は主に「景色を見る旅」だったかも。

ツアーはツアーでよいところがあるが、個人旅行はまた別の角度の良さだ。
人に道を乞い、スーパーで食料を調達し、切符を買い、地下鉄やタクシーに乗る。
一味違う旅を体感できた。

帰国後一夜明けてたまっていた新聞を眺めていたらこんなのがあった。

2017.4.24の読売「編集手帳」だ。
記者の米国赴任時代のい思い出らしい。

『大きなくしゃみを、交差点でしたことがある。確か今ごろの米ニューヨークの繁華街だった◆「ブレス・ユー(お大事に)」という声に顔を上げると、ちょうど前を通る車の後席の窓から高校生らしい女の子がほほ笑んでいた。こちらも「サンキュー」と返した一瞬のやりとりは、今も忘れられない米国の思い出だ』

旅の思い出は意外とこんなところが多い。
今回のニューヨークでは、それは何だっただろう・・・


[PR]

# by yahhosaito | 2017-05-06 21:25 | 海外・クルーズ | Comments(0)

2017年の桜まつり

2017年4月9日。

今年も桜のシーズンがやってきた。

我が家の前の広場の桜、近くの川の桜、公園の桜、小学校の桜、どこも満開だ。
いや、よく見ると、7分咲きかもしれない。
まだ蕾も結構ある。

しかし、このくらいの方が色が濃いような気がして綺麗だ。
今年もよく咲いてくれた。
一本の木の隅から隅まで花で埋め尽くされている。

見事。

近くの川の桜はライトアップされている。
昨晩、8時過ぎに妻と桜見物と洒落た。

上がっていた雨がまた少しパラパラときたが、たいして濡れるほどの雨ではない。
念のため、一本の傘を持って。

いや、綺麗だ。
川面に対岸の桜が映る。
感動ものだね!

有名な歌に、
  「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふひとみなうつくしき 」
がある。
『みだれ髪』に出てくる与謝野晶子の歌だ。

そんな感じがしなくもない。
夜桜を見に来る人たちは、何か幸せそうで、嬉しそうで、楽しそうだ。
満足感に浸っている。
晶子が100年前に感じた風景と今の風景は基本的には変わらない。
b0158170_05260070.jpg
20年ほど前に地元の有志が500本ほどの桜を植えた。
それが今見事に育って、大木になった。

今年は桜まつりの18回目。

今日は桜まつりの当日。
担当の役割も少しあって、これから7:30には出かけなくてはいけない。
雨が心配。

今年から、「里帰りの桜」が1本加わった。

ポトマックの桜だ。

この話は今度しよう。





[PR]

# by yahhosaito | 2017-04-09 05:26 | 地域 | Comments(0)

7年目のアンコール

2017年3月19日。

3月も下旬に近づいて、だいぶ暖かくなった。
それでも朝晩は10度以下になるが日中日差しが出れば15度くらいにはなって、正に春の気分だ。

我が家もアンコールも7年目。
思えば、2011年3月11日の大震災の時は停電でエアコンもiHも使えず、難儀したが、年末に入れたアンコールのおかげで暖を取ることが出来た。

いまでは、朝から晩まで、日中の数時間を除けば点けっぱなしだ。
おかげで、薪の消費も大きいが、幸い、供給過剰気味でうれしい悲鳴。

しかし、薪を運んで、切って、割って、運んで、乾かすという大工程を踏んで、火がともる。
原始的といえばこの上ないが、7年もやっていると、ほぼ日常化し、さほど苦にならない。
でも、現役サラリーマンがこれをやるとすれば、休日は半分以上これに費やしてしまうから、チト苦しいかもしれない。

その点、退役組は気楽だ。
薪を蒔き棚にきちんと並べて、遠くから眺めるのは何とも言えず安心感と満足感と達成感があって、幸せだ。

遠くから見ている人はきっとバカみたい!と思うと違いない。

今日も朝から、炎が揺れている。
エアコンはつけない。
アンコール一本のみ。暖かい。
b0158170_17520558.jpg
2月になると、木の選定や切り倒しが始まる。
春になる前に木が水を吸いあげる前に切り倒す。
その関係で、我が家に木が運ばれてくる。

おかげで、森林組合等から調達しなくとも、木が手に入る。
2~3月にかけて、頂いた木の薪づくりに精を出した。
蒔き棚には来年1年分以上のストックが出来た。

乾け!薪。

4月に入れば、ストーブを炊くのは限定的だ。
あと、10日?15日。

春はうれしいが、ストーブが炊けなくなるのは少し寂しいね。

[PR]

# by yahhosaito | 2017-03-19 09:12 | 日々 | Comments(0)

6年目の3.11

2017年3月11日。

今日で東日本大震災から6年目。
日本各地で鎮魂の行事が行われた。

神奈川県では直接的な被害はほとんど出なかったが、津波や原発の影響は大きかった。
あの日、あまりの大きな揺れに恐怖に似ためったにない怖さを感じた。
27階建てのビルの3階にいたとき、突然揺れが始まり、部屋の中にいても左右に2mくらいゆっくり動いているのを感じたものだ。

グラグラというより、右から左へスースーと動いている感じ。
正に、動いている、移動している感じだった。

地震の怖さは次に何が起こるかわからない不安の恐怖だ。
震度7が来るのかこのままで収まるのか、天井から張りが落下するほどの揺れが来るのかわからないところの恐怖感だ。

10秒ほどして、普段とは違う異常さを感じて、とりあえず外に通じるドア―を開けに行って退路を確保した。
3階だから階段で駆け下りても30秒ほどだろう。

既に、エレベータは停止していたと思う。
ビルの外に出ると、2000人は収容できるビルの多くの人が外に出ていた。
やがて、東北が悲惨な状況になっているのを聞いた。

その後は、報道の通り。
b0158170_20023558.jpg
このホテルの4階まで津波はきた。
この高さに海水があたり一面がのみ込まれた。
信じられない光景。

早退した帰り道、又大きく揺れた。
電線が大きく揺れ波を打った。
車を運転しながら、電柱が倒れてこないか前より上を見ながらハンドルを握った。

夜になって停電が続き、津波の情報は翌朝の電気が通じるまで分からずじまいだった。

・・・

2年ほど前、東北の田老地区に妻と行った。
そこでボランティアから聞いた悲惨な話。
田老の町はまさに
b0158170_20090002.jpg
何もなくなっていた。

死者・行方不明者合わせて20000人近く。
未だに2千数百人が見つかっていない。







[PR]

# by yahhosaito | 2017-03-11 19:59 | 日々 | Comments(0)

古都

2017年3月2日。

しばらく振りの更新になった。
気が付けばもう3月。
この前2017年がスタートしたと思ったが、2か月があっという間に過ぎ去った。

2月の中ほどからラオスに行ってきた。
行先はルアンパバーンとビエンチャン。
b0158170_21514697.jpg
日中は30度を超す暑さだった。
ラオスの印象。
一言でいうと、まだまだ貧しい。

街もインフラが十分でなく、乾季のせいかどこも埃っぽい。
インドのような風景は少ないがカンボジアの風景と似ている。
仏教が70%くらいとか。
b0158170_21534486.jpg
警察官はほとんど見かけないが、まちの治安は保たれている。
交通も整然としていて、クラクションなどの騒音もほとんど聞かれない。
静かで鳥の声が聞こえる位。

ルアンパバーンは歴史の古都。



[PR]

# by yahhosaito | 2017-03-02 21:54 | 日々 | Comments(0)

USBキーボード

2017年2月4日。

2011年の春に買ったpcがイマイチ不調で、大枚15万円ほど出して新pcを新調した。
win7から最新のwin10だ。

これで、新しいのは私専用になった。
妻は、2011年のwin7のpcを相変わらず使うことになった。

イマイチの最大は、キーボードが接触不良で上手く作動しないキーが数か所あるという事。
これは、けっこう、ストレスになる。
それに、バッテリーが完全アウトで、100v電源からしか使えない。
これも、時々、厄介だ。

しばらく使っていた妻はついに音を上げ、同じく5年ほど前に買ったサブノートpcを使うことにした。
画面は小さいが、十分に使える。ハズだ。

2週間ほど使っていたが、トウーサン、やっぱり何とかならない!?と言い出し、
調べた結果、外付けのUSB接続キーボードがあることが分かった。
値段も1000円強。

ダメもとで早速買って取り付けるとこれが結構役に立つ。
見かけはイマイチだが、シバラクこれで我慢するという。
b0158170_21343341.jpg

もっとも、このpc、2011年生だがエンジンがCOREi5で結構早いのだ。
win10は15万もするのにCOREi3でスピードはイマイチの感がある。

少しケチってCOREi3にしたが、早まったか!?




[PR]

# by yahhosaito | 2017-02-04 21:35 | 日々 | Comments(0)

遊行寺にて

2017年1月29日。

もう数日前のことだが、藤沢で恒例のコミュニケーション研究会の一環で遊行寺に行った。
遊行寺は正式には藤澤山無量光院清浄光寺というらしい。
今から700年ほど前に創建され、時宗の総本山として有名。

というより、分かりやすいのは「箱根駅伝」だ。
特に2日目の復路、遊行寺の坂を駆け上がっていくランナーの負担は大変らしい。
平塚でバトンを受け約20km先の次の中継所は戸塚だから、この遊行寺あたりは胸突き八丁。
よくよく傾斜を見てみると結構な坂だ。
平均斜度は4.7%、キツイところは8%ほどある。
これは相当堪える。

歌舞伎でも有名。(らしい)
3年くらい前に見た歌舞伎演目、「小栗判官」。
小栗判官は妻、照手姫の一門に殺された小栗が閻魔大王の計らいで蘇り、姫と再会し、一門に復讐するという話。
歌舞伎は正直、よくわからなかった。
事前に学習し、解説をよく聞かないと、難解だ。

ここに照手姫の墓がある。

b0158170_22041635.jpg
寒い日だったが、境内の梅はもう咲いていて、かすかな梅の香が漂ってきた。
あと少しで2月。

                               


[PR]

# by yahhosaito | 2017-01-30 22:04 | 日々 | Comments(0)

ともしび

2017年1月15日。

先日、千葉に行った帰り、新宿にある「平和祈念展示資料館」に寄ってみた。

ここは、さきの大戦でシベリアなどに抑留された人たちを中心に
大変貴重な資料が展示されている。

シベリア抑留の大変さは想像を絶するところであるが、
本で読むより実際に使われていた品物や衣服などを見ると
よりその大変さが分かる。

抑留者の名簿などもあって、戦後派の自分にとっても生々しさをじかに
伝えるものが数多くある。

b0158170_14145333.jpg
b0158170_14173696.jpg

1年ほど前にシベリアに旅行に行って、
その過酷さの一部が実感としてわかるような気がする。

マイナス20度の世界。極寒の地。白一色の世界。
戦時下とポツダム宣言受諾後の世界。

あの後、シベリヤ抑留に関する本や戦争捕虜などの本を少し読んだ。
今の平和が身に染みた。

ウラジオストクは坂の町。
70年もたつと景色は変わる。
変わらない景色もある。

b0158170_14151365.jpg
b0158170_14225183.jpg

b0158170_08362694.jpg
♪ 1番  (カッコは元々のロシア語の直訳)
夜霧のかなたへ  (乙女は戦場へ)
別れを告げ  (兵士を見送る)
雄々しきますらお (暗夜の別れが)
いでてゆく  (戸口の石段に忍び寄る)
窓辺にまたたく (夜霧の彼方)
ともしびに (若者の目に映るは)
つきせぬ乙女の 愛のかげ  (窓辺の乙女を照らすともしび)

♪  2番
戦いに結ぶ  (見送られ出会う若者たち)
誓いの友  (戦では皆兄弟)
されど忘れ得ぬ  (幾百の戦友)
心のまち  (仲間もいるが)
思い出の姿 (通いなれたあの道が)
今も胸に  (今日も瞼を離れない)
いとしの乙女よ  (どこに可愛いあの子は)
祖国の灯よ (どこに僕のともしびは)

b0158170_17165629.jpg

作詞は楽団カチューシャとある。

なかなかの名訳だと思う。

それにしても、戦争はこうした悲劇を生む。

シベリア抑留、過酷労働、飢え、復員、そして戦後70年。

また、資料館に行ってみよう。


[PR]

# by yahhosaito | 2017-01-16 14:23 | 日々 | Comments(0)

だんご焼き

2017年1月15日。

14日、恒例のだんご焼きがあった。
15時点火だったが、朝から少し風が強く心配されたが何とか15時ごろになって少し収まり、無事、点火。
b0158170_07175326.jpg
今年は14日が土曜日という事もあって、若いお父さんやお母さん子供たちも大勢参加した。

しかし寒い。
昨日の朝は我が家のベランダでマイナス3度。
今朝はなんとマイナス5度だった。
b0158170_07173736.jpg
こんな低い気温を見るのは何年かぶり。
1年前のシベリアのマイナス20度を経験しているので、どうという事ないと思えばそれまでだが、かなりの寒さ。

雪国では2.5mほどの積雪だとか。

[PR]

# by yahhosaito | 2017-01-15 07:18 | 地域 | Comments(0)

2017年

2017年1月13日。

あっという間に年が明けて、あっという間に今日はもう13日。
なんだかとても忙しかった。

というのも、年末から孫たちが来て1週間ほど滞在し、そのあとはたまった仕事をかたずけ、会合などにも出かけ、今日になって少し余裕が出てきた。

それにしても、年末からずっといい天気で快晴。
これだけいい天気が続く正月も珍しい。

しかし、寒い。
今日は朝起きて気温を見ると2度。
このところ、一日中ストーブを炊いておかげで薪の消費は著しい。

2月にいつものグループ展がある。
1人5点を出すのがノルマだから、在庫だけでは足りない。
そこで2年前に行った北イタリアの山麓風景を描きだした。
場所ははっきりわからないが、ドロミテからボルツアーノに下る途中だと思う。

イタリアはどこに行っても絵になる。
こんな風景がどこにもあるというのがすごい。
b0158170_19003807.jpg
b0158170_19002469.jpg
まだ、影はつけていない。
点ければ少しは良くなるぞ!!

妻が見てボロクソ言った。
第一遠近感がない!

確かに!!
辛口で行ってくれる人は貴重だ。
人の眼は大いに参考になる。
自分の眼は先入観があってあてにならない。

展覧会まで1か月。
何とか他の4点をひねり出し、北イタリアを加えて5点。
間に合わせたいところだが・・・

2階に娘たちがいた部屋がアトリエ代わりだ。
ここから見る富士山が冬の澄んだ空気の中で美しい。
b0158170_19060634.jpg
富士山。
日本の誇りだな!!

[PR]

# by yahhosaito | 2017-01-13 19:06 | 日々 | Comments(0)

年賀状

2016年12月31日。

年末になると、いつも思い出す文章。

「つごもりの夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半過ぐるまで人の門たたき走りありきて、何事にかあらむ、ことことしくののしりて、足をそらにまどふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ」

ご存知、徒然草の一節。
今日は、大つごもり。

懸案の年賀状が、先日やっと終わった。
28日に出したから、たぶん元旦には間に合うだろう。

それにしても、年賀状もそろそろ考え物だ。
虚礼廃止が叫ばれて久しいが、なかなかなくならない。
無くならないのは、一方でメリットというか賀状の意味が支持されているからだろう。

自分にとっての意味は、3つある。
 ①普段、きっかけのほとんどない友人知人の挨拶(ストローク)の窓口。
 ②賀状を頂くことによる普段ほとんど接触のない友人知人からの情報入手。
 ③面と向かってなかなか言えないことを言う。(特に感謝の気持ちやごあいさつ)

たぶんこの2点に尽きる。
①②を除けば、あとはいつもあっていて情報交換したり交友を深めている人たちばかり。
はっきり言えば、賀状はあまり必要としない人たちばかり。
もっと言えば、出さない人たちの中には、情報交換したり、挨拶をしたい人たちも出す賀状の2倍か3倍はいるはずだ。

何故出さないか。
来ないから?
出す人と出さない人の境目は実にビミョウだ!

b0158170_06190484.jpg

今まで数年間年賀状はパソコンで書いていたが、そろそろ飽きて昨年からまた版画を復活させた。
手間かかるようで、意外と簡単だ。

さて、どうにか今年の懸案事項も終わって、何とか「大つごもり」を迎えられそうだ。




[PR]

# by yahhosaito | 2016-12-31 06:53 | 日々 | Comments(0)

12月の水曜日

2016年12月14日。

朝から氷雨といった感じの雨で寒い。

空が鉛色で憂鬱な気分だ。
普段あまり気にしていないお天道様もとてもありがたく思える。
たったの1日ですらこんな感じだから、鉛の空が2週間も続いた時を想像すると、かなり耐えられない。

北国では日常茶飯事だと思うが、そう思うとこの辺はありがたい。
ベランダに楓が落葉して「濡れ落ち葉」になっている。
b0158170_15362304.jpg
よく見ると綺麗だ。

明日はどうやらお日様が出そう。
冬になると夏が羨ましくなり、夏になれば、冬が恋しい。
人間はかなり勝手な生き物だ。

まあそんなものかも・・

ストーブも大概は日中はお休みするけれど、こんな日は朝から寝るまで点けっぱなし。
おかげで薪は急速に減ってきた。



[PR]

# by yahhosaito | 2016-12-14 15:37 | 日々 | Comments(0)

手帳


2016年12月5日。

12月も早5日。

ことわざ通り、忙しい12月。
1日から某セレモニー。そのあと打ち合わせや、夜は公民館祭りの会合。
2日は関連事項の整理や準備。夜はクリスマスフェスタの練習があった。
そして、3日は午後から町内忘年会の準備と本番。
忘年会景品に今年も多くの家で農産物や特産品を出してもらいその数88個。
ビンゴで景品は消化できず、お土産のお持ち帰りもできた。
4日はAⅯの朝日カルチャー、PMはクリスマスフェスタの本番。
夜はフェスタの忘年会、ラスカのイタリアンレストランでおいしい食事とお酒。
b0158170_20542337.jpg
今日5日は何もない。おりしも快晴で幾分暖かく気持ちいい。
ただ、飲み過ぎのせいか、頭がイマイチすっきりしない。

今週はと思って手帳を眺めると、今週も来週もまあまあ用事が詰まってる。
再々来週の26日の週からはエンプティだ。
でも、この辺は年賀状に大掃除などがある・・

今の手帳は3年前から使っている。
ポケットサイズの小型版だが、久々のヒット。
使いやすい。

うれしいのは11月から手帳がスタートしていることだ。
そして、再来年(2018年)の3月まで書けるようになっている。
つまり、2(今年)+12(来年)+3(再来年)で17か月のスケジュールが書き込める。

来年の手帳を買うのは大概11月中頃だから、11月から来年の手帳モードで書き込める。
11月には来年1月や2月の日程も少しづつ入り込んでくるので、今年書いておいた1月2月の日程を新しい手帳に書き写すことができる。
そのパターンの繰り返して、翌年の日程がきちんとかけるのは助かる。

今までの手帳は来年(再来年)が書けたとしても1月いっぱい位まで。
b0158170_20590512.jpg
これは画期的だと思っている。

会社時代はB5版位の大きい手帳(ビジネスダイアリー?)を主に使っていたが、やはり持ち歩きできるのはポケットサイズ。
まだ他の利点もたくさんある。確か1000円足らずだと思った。

本箱の隅には会社時代の手帳が捨てられずにとってある。
たぶん20冊以上。
懐かしいポケットサイズの弊社特製の緑色の手帳もある。
これも10年くらい使っていたかもしれない。
これにもお世話になった。

とってある手帳、たぶん使い道はない。
読み返すこともたぶんない。
でも捨てられない。

断捨離。
妻のことは笑えない。







[PR]

# by yahhosaito | 2016-12-05 20:59 | 日々 | Comments(0)

2016年11月24日。

11月に雪が降るのは54年振りだそうだ。
今日は天気予報通り、朝起きると窓の外はみぞれ。

7時過ぎからそれが雪に変わって、雪が積もりだした。
2時間後の9時には木の葉っぱやベランダには白く雪が積もった。
確かにこれは雪だ。
b0158170_08583341.jpg
11月に雪とはびっくり。
54年振りといわれると、さて、自分の54年前は何だったかと、雪とは全く別の昔を考えてしまう。

昭和37年というから、高校生だ。たぶん、高校1年生。
自宅から歩いても15分くらいの近い高校だったが、あまりいい思い出はない。
出来の悪い高校生だったから。

体調もイマイチで、正直、学校に行くのがイヤだった。
その記憶がある程度吹っ切れたのはたぶん30近くになって方かもしれない。
かつては夢の中に出てくることもたまにあったが、さすがに今はない。

よかったのか悪かったのか・・・

それにしても、天気予報が当たった。
かつて、気象庁に大形コンピュータ・スパコンを納入していた弊社(の従業員)は気象予報に関してある想いを持っていた。
最新鋭のコンピュータを駆使して、精度の高い気象予報をしてちょうだいね!
多くはそんな気持ちでいたと思う。

気象観測のメッシュは格段に狭くなって、日本上空の大気の分布が天文学的数字で記録され・予測されることになったはずだ。
そして精度は上がった。

その成果の一つが、本日の雪の予報。(と、素人は思っているのだね!)
ドンピシャリ!!
時刻も降雪量も測ったように雪になった。
「未来が分かる不思議」
大げさに言えば、今日の天気予報はそんな感じさえした。

降りすぎる雪はあまりうれしくないが、ほどほどの雪は歓迎。

ベランダの隅にある千両に雪が積もって綺麗だ。
b0158170_08561081.jpg
b0158170_10192242.jpg
《満天星躑躅に雪!?》

b0158170_10194151.jpg
《冬薔薇!?》


息子のいる長野は大雪だろうか!?
タイヤはスパイクタイヤに替えたかい!!??

まてよ!
今日の雪は今年の冬初めての「雪」というのか!?
11月はまだ「秋」のはずだ!





[PR]

# by yahhosaito | 2016-11-24 08:53 | 日々 | Comments(0)

足柄峠サイクリング

2016年11月17日。

久しぶりにサイクリングに出かけた。
行先は秋の紅葉を見に足柄峠。

関本まで車で行き、駅周辺の駐車場に車を止めて、そこからグルーっと一回り。
およそ、45kmほど。

駿河小山の駅で同行のN氏と待ち合わせ。
関本からは17kmほど。
10:00の待ち合わせ時間に間に合うように8:30頃関本を出る。

R246の旧道を走るのは久しぶり。
かつては山中湖にテニス合宿に行くときの通いなれた道だったが、30年ほど前?に新道ができてほとんど交通量はなくなった。
くねくねとした道を大型ダンプカーがガンガン走っていたものだ。

数キロのあいだ、すれ違った車は2~3台。
おかげで、渓谷の紅葉を堪能できた。

駿河小山で合流し、そこから結構な登りが続く。
峠までは10km強だが、標高差は500mほど。平均斜度4.5%と年寄りには結構きつい。
キツイところは10%ほどある。
10%というと10m先の1mの高さまで登るということだから、100m先の10mということ。
これが延々と続くと堪える。

しかし、途中の紅葉は結構綺麗で、天気もほぼ快晴。
秋サイクを堪能した。

b0158170_07185557.jpg
足柄峠に着いたのは13:00ごろ。
あいにくこの時間は雲が出て、秀麗富士は雲に隠れてしまった。
まあ、富士山は我が家から毎日拝んでいるからいいか・・・

足柄峠は、かつての駿河の国と相模の国の国境の峠だった。
足柄峠を昔は足柄坂と呼んでいて、ここから東を「坂東」といった。
つまり、足柄峠はその入り口。
b0158170_07220558.jpg
足柄峠を越える道は東海道として整備され、足柄路といった。
別名を「矢倉沢往還」。

しかし、富士山の延暦噴火(宝永噴火の前)の際に、足柄路が通れなくなったために箱根峠を通る街道が整備された。
特に、江戸時代になると箱根路は険しいが距離が短いために東海道の主要街道として整備されて、足柄峠は脇街道になったという。
足柄古道がそこかしこから見ることができるが、狭い山道で昔の人は良く通行ができたなと感心する。

ここには関所も置かれていた。
その少し先から矢倉岳を見ることができる。
丸いお椀を伏せたような山だ。

サシバの渡りで有名なところ。
多い時は1000羽を超えるサシバが上昇気流に乗って、鷹柱を作りぐるぐると回って気流をつかみ、一斉に流れるように西に飛んでいく。
一説によると、伊良湖岬を目指すという。
昔、バードウォッチングで来たことがあるなあと思い出しながら、急な坂道を降りる。

あっという間に、30分強で関本に到着。
オツカレサンでした! ○




[PR]

# by yahhosaito | 2016-11-18 07:22 | 旅・サイクリング | Comments(0)

見えるものと見えないもの

2016年11月12日。

「大事なものは目に見えないんだよ!」といったのは、サン・テグジェペリ。
目に見えることが大事なこともある。
ゴミだ。

昨日は東京の息子と千葉の娘のところに朝から行って、帰ってきたのは22時を回ったころ。
正直、少し疲れた。
行きは、横浜経由の湾岸で行き、やたらに込んでいて、息子のところに着いたのは14時近く。4時間近くかかってしまった。

ここから千葉の娘のところは12kmほどで、30分足らず。ここは順調だった。
一日、曇りか小雨模様で、寒いくらい。
たぶん、12度くらいだっただろう。

それにしても、今日はいい天気だ。
第一暖かい。20度くらいあるかもしれない。

明るい日差しの中で、午後からお客さんが来るというので、居間を掃除した。

我が家は、掃き掃除は箒だ。
それも、昔からある座敷ボウキ。

床はフローリングだから掃きにくいが、どういうわけか10年以上も前から箒。
掃いた後、取れたごみの量が目でわかる。

取れたごみはたいした量ではないが、目に見えると掃いた「達成感」がある。
最近は普通、掃除器だからどのくらいとれたかは分からない。
結果として綺麗になっているだけだ。

しかし、この目に見えるということはひょっとしたら大事なことではないか。
最近目に見えないから(見ようとしないから。見えてもバーチャルだから)面倒なことも起こる。

つまり、見えているのはいつも虚像で実像ではない(ことが多い)。
湾岸戦争の画面で見る攻撃対象と破壊の映像。
テレビで見る事故や事件。
さらに言えば、趣味のゴルフやテニスだって、ゲームの世界が台頭してきている。
セクシー映像やナニだってバーチャルオンパレードだ。

そう考えると、このゴミの存在感はどうだ!!
まさしく、実像そのもの。
b0158170_20114699.jpg
実像の大事なところは、それだけにとどまらないところだ。
ゴミでいえば、実像はばっちいだけでなく、風が来ると宙に舞い、臭いもし、砂埃とともにざらざら感、よく見ると単に埃だけではなく、いろいろなものが混じっている。

ゴミから、コミュニケーションも生まれることもある。
たかがゴミ。されどゴミ。
昔、会社時代に現場の組長さんが言っていた言葉を思い出す。                                          「たかがネジ、されどネジ。」
ネジ一本一本に意味(必要性)がある。

ネジ一本で、世界が変わることだってあるぞ!

今回はちと強引か。スマン!


[PR]

# by yahhosaito | 2016-11-12 20:12 | 日々 | Comments(0)

東北紅葉見物

2016年11月6日。

先週末、10/28~30と2泊3日で東北地方に出かけた。
3年に1回のMJ協研修旅行だ。
今回は研修と付くものの、100%観光旅行。
勿論、費用も100%自腹。

大手旅行会社のHK社にお世話になった。
東京集合で、7:10集合ということなので、我が家発は5時。
東京を7:40?の新幹線で、新白河でバスにお乗り換え。

行先は、岩手の厳美渓、中尊寺、八幡平。青森の千畳敷、白神山地。秋田の角館、乳頭温泉といったことろ。
五能線にも乗った。
殆どは行ったところだが、新しい発見もある。
b0158170_17331951.jpg
観光地も外国から2000万人という言葉も聞きながら、賑やかかというと、賑やかなのはごく一部も場所や時間帯で、意外と静かだ。
むしろ、寂しさすら感じるといってもいい。
b0158170_17384133.jpg
まだまだ、観光で開発の余地はありそうだが、自然や地域、社会との共生などを考えると、今が程々という気もする。
海外から4000万人時代はどうなるかと思うと、少し心配になるが、訪れる時期やタイムングなどが平準化してくれるとありがたい。
往々にして、集中するから、チト問題が出てくる。

まあいいだろう。
b0158170_17353378.jpg
角館も乳頭温泉も今年の4月に行ったばかりだが、晩秋の東北は紅葉真っ盛りで美しかった。
八幡平山頂の霧氷には驚いた。
3年前にサイクリングで来たときは、丁度ここから小雨が降りだし、30数キロ先の八幡平駅まで下った。かなりずぶぬれで、苦い思い出だ。




[PR]

# by yahhosaito | 2016-11-06 17:38 | 日々 | Comments(0)

英国人の日本体験

2016年10月21日。

21日から2泊3日で我が家に英国人が来た。
正式?なホームステイは10数年振りかも?

非正式?なら数年前にS君が3~4日泊まっていったと思う。
最もS君は日本語が上手だし、日本に2年ほど英語教師として赴任していたから、気分はほとんど日本人と同じだ。

英国人は中3の男子2名。

正直、2泊くらいだと、向こうもこっちもお客さんの気分で送り出す感じで、親密度はイマイチだが、それなりの体験はしてくれただろう。
本当は、3日目くらいから、緊張も取れて、お互いに家族みたいな関係になって、「味」が出てくるのだが・・・

翌日はたまたま小学校で「体験教室」があるというので、出かけた。
仲良しのPTAの近所のお母さんが種々骨を折ってくれて、学校に話を通しておいてくれたので、受け入れもスムーズで助かった。

体験教室は「藁でお飾り作り」「バルーンアート」「輪投げ」の3種類。
終了後、PTAのお母さんたちが作ってくれた豚汁とおにぎりをご馳走になった。
b0158170_06284715.gif
日本の小学校の体験ができて中3の英国男子も面白かったと思う。
b0158170_06504716.gif
午後は、大山に連れて行った。
新しく設置されたケーブルカーに乗って下社まで。
イギリスは高い山が少ないので、これもいい経験だったか?

夕食後は、近くの中学生女子2名に我が家に来てもらい、カルタあそびと、交流。
我が家のカルタあそびは「坊主めくり」

我が家では、姫札は「プリンセス」、男子貴族(武士)札は「サムライ」、坊主札は「スキンヘッド」という命名だ。
これが結構受ける。(と自負している)

勝敗が付くと、札の多い順に平手を重ねて、一番下の人(一番勝ち)が重ねた手を引っ叩く権利を得る。
引っ叩く仕草のちょっかい(思わせぶり)を出すところが、坊主めくりの最後の肝!!
これで、大概はアイスブレイクする。

カルタ終了後は、子供タイム。
勝手に会話を楽しむ。

子供たちは片言英語で結構楽しく遊んでいた。
スマホ片手に会話合戦のような感じで楽しんでいた。

まずまず!!??



[PR]

# by yahhosaito | 2016-10-24 06:01 | 日々 | Comments(0)

東京

2016年10月17日。

ある行事の参加に東京に出かけた。
妻と東京は2~3年振り?

あいにくの天気だったが、東京は広いし元気があってエキサイトする。
町も綺麗だ。
b0158170_07112902.jpg
それなりに海外の都市も訪問したが、世界のどこの国の中でも遜色はない。
一般的に都会は緑が少ないと思うが、最近の東京は緑もかなり多いように思う。
日本を訪れる外国人が2000万人近くいるが、確かに写真を見て、日本に行ってみたくなる外人も多いだろうと思う。

息子も東京に引っ越したし、長女も都会に近いので、これから東京に出かける機会も多くなるかもしれない。

自転車で回ると歴史上やその他諸々で楽しいに違いない。


[PR]

# by yahhosaito | 2016-10-24 05:46 | 非公開日記 | Comments(0)

碓氷峠

2016年10月5日。

5,6と長野に妻と出かける予定が、あいにくの台風。
念のため、予約のホテルに当日変更okか聞くと、okという。

というわけで、予定を1日早めて、天気の良い4,5に出かけた。
圏央道ができてからは、早い。
軽井沢までは2時間強。

旅の目的の半分は長野にいる次男のところに家に残していった自転車を届けること。
もう半分は志賀高原当たりでの紅葉見物。

軽井沢を過ぎて、18号線沿いに薪ストーブ屋さんを見つけ、ご主人と1時間ほどストーブ談義。
もうここで初めて40年以上という。
店にはストーブがたくさん並んでいる。
ストーブグッツもたくさん。

薪は運び用のエプロンのようなものと、煙突を塗装するペンキを購入。
そのほか、ストーブに関するたくさんのノウハウを教えてもらった。
非常に参考になった。

結局、志賀高原にはいかずじまい。
軽井沢の草木染美術館で絵と染色を堪能。
20坪あるか無いかの小さな美術館だが、天皇皇后は最近数回もご覧になっているようだ。

軽井沢は15度くらいだったが紅葉には10日ほど早い。
Pホテルの周りも一部楓が紅葉を始めていたが、全体には緑一色。
b0158170_20274501.gif
帰りは下道を通った。
碓氷峠は交通の難所。
アプト式の線路でも有名。
b0158170_20280786.gif
途中のめがね橋に寄った。
明治25年の完成。
使った煉瓦は200万個とか。
b0158170_20253203.jpg
あの時代によくこんなものができたと思う。
高速より下道の方がずっと面白い。

富岡から高速に。
18:00前には自宅に着いてしまった。
サスガ高速。








[PR]

# by yahhosaito | 2016-10-06 20:29 | 旅・サイクリング | Comments(0)

第64回地区レク

2016年10月3日。

昨日、地区レクが行われた。

64回というからおそらく戦後昭和25年ごろから初めて、途中、台風や何らかの都合で1~2回の中止があったとしても、今までずっと不断なく続いてきた。

9月からの長雨で昨年に引き続き雨天につき「体育館」と思いきや、絶好の運動会日和になった。

種目はいつもの定番だが、みな楽しく競技に出て、汗を流した。

まずまずの地区レクだったが、冷静に見るといろいろと問題もある。

先ずは参加人員。

最盛期の半分くらいかも。いい天気にかかわらず。

聞くと、長雨の影響で、延び延びになっていた幼稚園などの運動会、また、他のスポーツ団体の練習日と重なった・・等々あるようだが、それにしてもチト寂しい。

鳴り物も何か控えめだ。

静かに観戦し、静かに競技が終わる。

少しオーバーに言うとそんな感じがしなくもない。

b0158170_05274890.gif

まあいいだろう。無事に終わった。
わが地区の反省会も賑やかに終始した。

前に「孤独なボウリング」のことに触れたが、手配しておいた本が届いて読み始めた。

500ページを超える量でじっくり読むには1~2週間かかりそうだが、とりあえず、パラパラと全体をめくってみると、興味深いことが沢山書いてある。

今日の地区レクに通じる内容だ。

「米国のコミュニティの崩壊と再生」が副題だが、初めにこんな内容が出てくる。

■現状 ―何が起こっている?―

①ブリッジクラブの会員が20年で1/5以下になり、今や維持できなくて解散。

②退役軍人の協会、社交クラブも会員数が激減し、維持に四苦八苦状態。

③〇慈善連盟は半世紀余ボランティアに傾注してきたが、今や沈没船の如し。

④学校関係の集会に参加する人は40%減少、学校役員を務めた人も40%低下。

PTA50万人も会員を失った一方、子供を持つ家庭は200万以上も増加。

⑥教会への参加者(日曜礼拝)などの参加者もここ20年で20%減少

⑦家庭でのホームパーティ開催は20年で30%減少。

⑧友人とのトランプゲームは大幅減少、代わりにビデオやTVゲームが増加。

⑨以前より善良で正直で道徳的な方向に向かっているかの認識人口が25%減。

⑩仲間でのボウリングは大幅に減り、一人で黙々とボウリングする姿が目立つ。

等々。

数字はパッと読みで拾ったので、誤解があるかもしれない。まあ、イメージとして理解してほしい。

そして、そのあと続く。

■何故そうなった?・・・

■ではどうすればいいか・・・

日本もその傾向がだんだん顕著になってきた。

青年会はかなり前に無くなり、婦人会も無くなった。
今、子ども会が無くなりつつある。
そして、地区レクの参加人員・・・

その再生にはまずは「ご近所力」
もっと簡単に言えば「挨拶」「笑顔」「無駄話?」

簡単なようで難しい。意識してしないと・・・。

少し、悲観過ぎない!?
かもしれない。

新しい芽も出てきている!
かもしれない。


[PR]

# by yahhosaito | 2016-10-03 05:32 | 日々 | Comments(0)

9月27日夕焼け

2016年9月27日。

長雨が続いて、久々に太陽が出てくれた。
10日ぶりくらいのお日様。

たまった洗濯をして布団を干して、家の周りを片付ける。
久しぶりに見る太陽は本当に有りがたくうれしい。

朝の来ない夜はないとか、雨の後に太陽が降り注がない日はないとか言われるが、
本当だ。

もし、朝が来ない夜があるとしたら、人生絶望的だろう。

今日は御岳さんの噴火から今日で2年とか。
あの日、噴火の煙であたりは一瞬にして暗黒の世界のなった。
噴火の煙のせいだ。
煙ごときで暗黒になるかという気もするが、実際は暗黒になる。

すると、
ピナツボやストロンボリで噴火が起こって、噴煙があたりを蔓延すると、
暗黒になる可能性は十分にあるのではないか。

暗黒の言わなくとも、太陽が何か月も差さずに、毎日夕方のような気象。
朝が来ないような、世界も考えられなくはない。

気が滅入る。

夕方、西の空を見ると、夕焼けがきれいだ。
この辺は、田舎だから、遮るものも少ない。

その時間、気を付けていると、1分単位で空の様子が変わる。
綺麗な鱗雲のような白い雲に真っ赤な陽がさして、それは綺麗だったが、
うろうろしているうちに様子が変わって、視界が開けたところに出るころは、
普通の茜空に代わっていた。
b0158170_21035704.gif
遠くに新幹線が通る。

故郷の帰るのか、仕事で西に行くのか、まだ紅葉にはだいぶ早い京都にでも行くのか。
15両、おそらく1000人ほど乗っている新幹線にはそれぞれの事情や人生があってに西に向かっている。

10分もすると、茜空は黒ずんできて、山の端が空と同化していく。
やがて10月。

[PR]

# by yahhosaito | 2016-09-27 21:04 | 日々 | Comments(0)

解夏(げげ)

2016年9月22日。

今年の夏は意外と涼しい夏だった。
8月20日ごろから西の暑さに比べ、この辺(東)は西に比べ5~6℃低く、9月に入って残暑というような暑さはほんの数日。
涼しい。

10日を過ぎると相次ぐ台風の襲来で天候不順。
おかげで暑い日は極めて限定的で、彼岸を迎えてしまった。
一昨日も、昨日も今日も雨。
なんだか1週間くらい雨もようだ。

おかげで、日曜日に予定していた稲刈り大会が「中止」になってしまった。

今日なんか、10月末の気温とか。20度を少し超したくらいだった。
おかげで、ストーブを点けた。
さんまを焼くため。
まだ、一尾、250円。ちと高い。

「解夏(げげ)」

旧暦の7月16日。
僧がひと夏の修業、「安吾(あんご)」を終わる日に当たる。
夏明き(げあき)と言ったりもするらしい。
b0158170_22390387.gif雨の中、そろそろ終活の一環として、整理でもするかと、古いアルバムを整理していたら、こんなものが出てきた。

「解夏」の解説コラムと「富士山頂レーダー完成」

解夏の記事は日付が昭和40年8月8日とある。

解夏には少し思い出がある。
10数年?まえ、映画になった。
さだまさしの原作の映画化で題は「解夏」

主人公の目がだんだん悪くなって、完全に見えなくなる日が近い。
彼はその完全に見えなくなる日が怖い。
その恐怖に苦しめられているときに寺で説教される。
あなたの目が完全に見えなくなったとき、恐怖から解き放される。
それがあなたの解夏だ。

といった内容だったと思う。
夏の日のせみ時雨の中でだんだんと追い詰められていく自分。
心の葛藤。
何か胸に迫るものがあって、いつまでもストーリーが気にかかっていた。
というのも、ある女性がこれに近い状況だった。
美人で才能あふれる女性だったが、同じく10数年前に他界した。

そして、富士山レーダー。

もう何年か前に確か取り壊したはずだ。
気象衛星が発達し、富士山のレーダーは役目を終了した。
映画にもなった。
b0158170_22391974.gif
その完成の記事が出てきた。
1964年9月22日。

調べると1999年まで運用していたとのこと。
我が家から双眼鏡で見ると山頂のドームか確認できた。
確か直径9m。

H製作所の工場の屋上にあったドームは16m。
富士山から見ると、わが社のドームは16mだから、遥かによく見えるはずと思ったものだ。

時の流れは速い。

ジーさんのスクラップブックから「解夏」も「富士山レーダー」も出てきた。
捨てる前に、何か書いておこう。

奇しくも、同じ日、今日は52年後の、9月22日だ。

それにしても昔の新聞は字が小さい。
ポイントにすると7~8ポイントくらいか。


[PR]

# by yahhosaito | 2016-09-22 22:40 | 日々 | Comments(0)

敬老の集い

2016年9月17日。

地元で敬老の集いが開かれた。
出席者120名ほど。
スタッフも入れると150名近くが地元の公民館に集まった。

70歳以上の高齢者となっているが、たぶん実際に来た高齢者は75才以上がほとんどだろう。
95歳を過ぎた人もいる。

ここに来るような高齢者は基本的には元気なお年寄りだ。
地元の老人クラブでサークルに入ったり、何か行事があれば、いつも参加するお年寄りたち。
ある意味で羨ましい、理想とするお年寄りといってもいい。

b0158170_21334062.jpg
しかし、実際はいろいろ課題も抱えているだろう。
健康のこと、妻のこと、相続のこと、孫や子供たちのこと・・・

まあ、あって当たり前。

そうした中でこうした催しに出てこられるのは、幸いというべきだろう。

出し物の中に、ギターを伴奏に歌う場面があって、集いに招かれたゲストが言っていた。
「昔の歌はいい歌が多い。最近お歌はチャカチャカしてさっぱりわからない・・」

ごもっとも。

「ミカンの花咲く丘」
「椰子の実」
「ふるさと」
「山小屋の灯」
「高原列車は行く」・・・

みんな、あの頃の定番だ。

参加者もあと10年もするとだいぶ様変わりするかも。
そろそろ、団塊の世代も老人会の仲間入りをすると、年齢を少し引き上げないと、会場に入りきらないかもしれない。

そんな時代が来ている。

数日前に、ある講演会で聞いた。
「孤独なボウリング」-米国コミュニティの崩壊と再生


ハーバード大学のパットナム教授が,20世紀最後の数十年間のアメリカのコミュニティの崩壊がいかに社会全体に悪影響を及ぼすかを指摘し,コミュニティを再生させるための手掛かりを考えた本らしい。

きょうの敬老の集いを見ていると、どこの話だろという感じもしなくはないが、最近の日本も、多くは正にこんな状況になってきている。
だから、わが町内ではそんなことにならないように、少しづつ動き始めている。
何かの足しになればいいと。



[PR]

# by yahhosaito | 2016-09-17 21:38 | 地域 | Comments(0)

メアリーカサット展

2016年9月9日。

メアリーカサット展に出かけた。
妻と2人で。

二人で横浜に出かけるのは、もしかしたら数年ぶり!?
折角行くのなら、帰りに中華街にでも行って夕飯食べてこようと・・・

b0158170_09261807.gif

メアリーカサットはアメリカの女性画家で印象派だ。
ピサロやカミーユなどに学んだらしい。

淡い色が特徴でタッチも柔らかい。
あまり細かすぎないところもいい。

独特のタッチで、母と子の親密な絆を、さらに、女性の社会的および私的生き方を、何度となく描き続けた。

参考になる絵が2~3枚あった。
色を載せていくという感じがよく分かった。

また、なんだか絵を描いてみたくなった。b0158170_09262583.gif

金曜日の夕方の中華街は混んでいた。
レストランは沢山あって迷ったが「白楽天」という店に入った。
スープと15種?の料理から選べる3皿とチャーハンがついて一人2000円。。

3皿はチンジャオロースとエビのマヨネーズ、キノコの中華野菜炒め?を注文。
ボリュームもかなりあって満腹。

結構でした。

「白楽天」で思い出すのはもちろん「長恨歌」だ。

高校時代に暗記させられた。

好きな個所は沢山あるが、意外と気に入っているのがここ。

「六宮粉黛無顏色:りくきゅうのふんたいがんしょくなし」

つまり、
宮殿にはべる全国から選ばれた美しい美女中の美女たちも霞んでしまう・・
といったところか。

そういえば、「比翼鳥」なるあだ名の先生もいた。
確かに仲の良かった夫婦先生だったなあ。
今でいうなら「おしどり夫婦」といった方が分かりやすい。
しかし、生意気な高校生はそうは付けない。

比翼鳥と付ける所がが、HK高校生の生意気で「学」?のあるところ。

長恨歌には
「在天願作比翼鳥」「在地願爲連理枝」とある。

「天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう」という意味だ。

ウン10年も昔の話だな。
.
.
.


[PR]

# by yahhosaito | 2016-09-10 09:30 | 日々 | Comments(0)

西の舞の収穫

2016年9月7日。

米の収穫が近い。
今年の6月に植えた西の会の田んぼも順調の育ち、大きく穂を垂れ始めた。
あちこちの田んぼで黄金色の穂が収穫を待っている。

しかし、早いものだ。
3か月と少しで収穫できる。驚異。

b0158170_06323707.gif
暖かい地方では二期作もできる位だから、考えてみればそんなものかもしれない。

それにしても、稲作というのはすごい作業というか仕掛けというかシステムだ。
日本で稲作が始まったのは縄文後期とも弥生時代ともいわれる。
主食としてお米が食されるようになったのはいつ頃だろう。
貴族や豪族あたりは平安時代には主食だったのだろうか?

田んぼを見ているとあの治水システムには感心する。
わずかな高低を利用して水を田にひく。
今は用水路はコンクリート製がほとんどだが、50年か100年まえはおそらく石と粘土で固めて作ったのではと思う。

脱穀機や籾摺り機も大進化だ。
田植え機、稲刈り機、田起こし機だって、昔はすべて手。

昔、もみ殻から中のお米を取り出すのにどうやっていたのだろう。
何かで叩いたのだろうか?
玄米から精米するとき、一升瓶の中に入れて棒でつついたことがあった。
戦後間もない頃だ。

それに、農薬の進化も驚異。
無農薬がベストだが、雑草が生える。我々の田んぼは無農薬でやっているが、「こなぎ」の大発生で苦労した。

今は、米ぬかで退治し、上手くいっている。

人間は様々なことを考える。
米の進化は、人類の進化でもある。(たぶん)


[PR]

# by yahhosaito | 2016-09-07 06:34 | 地域 | Comments(0)

「逃亡」を読んで 

2016年9月5日。

新聞で読んだ帚木蓬生氏の記事が気になって「逃亡」を読んだ。
「逃亡」は元憲兵だった父の軌跡を題材に1997年に小説にした。
上下巻1000ページを超える大作。

彼の父は戦時中、香港で憲兵として主に諜報部員として活動した。
香港人に成りすまし、密偵を使い敵情を探る。通信傍受、人の拘束や尋問、情報を得るために何でもした。
敗戦後、香港の軍事法廷で戦犯として指名手配されたが、一般人に化けて広州の邦人収容所に紛れ込み、46年に引揚船で日本に帰り着く。
日本では、実家を避け、母の里の福岡に隠れ住むが、数か月後に警察が来て本署に連行される。自転車の荷台に乗せられるが、途中、自転車を倒して逃げる。

村中の半鐘が一斉に響き渡ったという。
結局、1年ほどで潜伏先で逮捕され、巣鴨プリズンに収容される。死刑は免れないと思ったそうだ。しかし、裁く軍事法廷が閉廷し釈放される。
 戦時中の異常な世界の中で任務に就いた青年~壮年期の帚木氏の父親の思いは如何ばかりだったかと思うと、苦しい気持ちになる。重い小説だ。

中学生?の頃、「私は貝になりたい」というドラマの中で、市井の理髪店の主人が戦犯で死刑に処される内容をみて、なぜ、一介の理髪店の主人が死刑になるのか不思議に思っていた。
死刑になったのはA級戦犯の戦争指導者10数人くらいではなかったのか!?
実は、戦争犯罪人はA級のほかに、B級、C級があるのをだいぶ後になって知った。

A級は戦争の指導的立場にあった人。
B級は指揮・監督にあたった士官・部隊長。
C級は直接捕虜の取り扱いに当たった者、主に下士官、兵士、軍属であるという。

調べてみると、BC級戦犯は約5,600人で、各地で逮捕投獄され、約1,000名が軍事裁判の結果、死刑に処された。
遺族はどんな思いで戦後を過ごしたかと思うと戦争悲惨さが堪える。

 ところで、この小説にもあるが、戦後、海外にいた日本人は兵隊・民間を合わせて660万人という。この660万人がほぼ1年半の間にほとんどが内地に帰還した。
1年半に660万人とは凄い。仮に、3000人乗りの引揚船に乗ったとすると、2200回に当たる。
実際はどんなことだったのか?
乗船手続き、帰還受け入れ、船の配船や燃料。検疫と食糧確保、等々。

 8日25日、昭和天皇は海外で武装解除した日本陸海軍の将兵に対してこう諭したという。
「兵を解くにあたり一糸乱れざる統制の下、整斉迅速なる復員を実施し、以て皇軍有終の美を済すは、朕の深く庶幾する所なり」。
この勅諭にもとづいて、帰還する約360万人もの陸海軍将兵は、粛々と日本国土に還ってきたという。これを「復員」といった。

 引揚はGHQの指導で、厚生省に「地方引揚援護局」を設置し、実務に当たった。
佐世保、鹿児島、舞鶴、名古屋などの11カ所が担当し、引揚者は、中国本土から150万人、満州から110万人、朝鮮から90万人、ソ連から70万人など。
8/30には引揚者緊急措置要領が決定、9月半ばには雲仙丸が釜山へ出港し、10月初めに第1陣2100名が舞鶴に帰港している。

 不法に侵略した外地から引揚げるのは困難を極めたそうだ。
兵隊は戦争犯罪人や捕虜の扱いで簡単には返してもらえず、民間人は半ばたたき出されるような形で追い出された。
「岸壁の母」で有名な舞鶴港では66万人強が帰還している。
舞鶴で引揚に使った船は合計32隻。興安丸や高砂丸が有名だが、引揚順位などもあって待ちきれない人は漁船などを使った人もいるようだ。

日本に帰っても、衣食住に事欠く中、外地から引き上げてきた方々の中には、難民がごとく、冷たくみられる人も多く、一部は新天地を求めて移民した人もいるという。

    ***************

歴史はときどき振り返らないと、忘れる。
「温故知新」ときどきは思い起こしたい。
過去を振り返り、現在社会を眺め、未来に思いを馳せて、俯瞰的にみると、自分の立ち位置が見えてくる。今、何を為すべきか、何を求められているのか?

しかし、そうは思っても何もできないのが実態だ。
朝早く起きて、新聞を読み、妻におせっかいを焼いて小言を言われ、少々の畑を耕し、時々、地域活動や旅に出かけ、夜は飲んで早めに寝る位がいいところだ。

せめて、事実に少しでも触れて、頭の中にインプットしておきたい。

平塚美術館で 開館25周年記念【企画展】
    香月泰男と丸木位里・俊、そして川田喜久治
     -シベリアシリーズ・原爆の図・地図-
が始まる。
開催日は2016 年9月17日(土) ~11月20日(日)だ。

そうだ、美術館に行ってみよう。





[PR]

# by yahhosaito | 2016-09-05 17:50 | 日々 | Comments(0)

結婚式の帰り、思った

2016年9月2日。

いよいよ9月に入った。
今年の夏は例年と比べ、異常な暑さの日は少なかったような気がする。
もっとも、それは関東地方だけのようで、西のほうは猛暑日が続いた。九州の日田市は35度以上の日が40日くらいあったようだから、たまらない。

ところで、先週、久々に妻と名古屋に帰った。甥の結婚式のためだ。
相変わらず、名古屋の結婚式は派手で100名以上で駅近くのホテルでの結婚式だった。
なかなか素晴らしい結婚式だった。新郎新婦は芸能人並みの美男美女で見ているだけでいい気分だ。
しかし、ハデ婚もいいが、ジミ婚だってそれなりにいいところは多い。
どちらにするかは本人次第。
b0158170_8313861.gif


しかし、恐らく費用は500万円では済まないのではないか!?
生の室内楽だけで30万、いや、50万!?世界3大珍味のキャビア、フォアグラ、トリュフもどうだかなあ・・・
写真やビデオだって、ありゃウン10万だ。オジサンは、つい、つまらぬことを考えてしまう。

そこで思った。

彼らはコツコツ貯めての晴れ舞台と思うが、一般論として、これから「相続貴族」なるものが生まれて来はしないか!?
つまり、親の財産が棚ボタで転がり込んでくる息子や娘が多くなる・・・

日本の貯蓄額は1200兆円とも1500兆円ともいわれる。
このうち、2/3くらいは高齢者が持っているというから、単純には1000兆円近く高齢者が持っている計算だ。高齢者はもう使う機会も少ないから、消費金額はたかが知れている。
そうすると、半分、エイヤーで500兆円くらいは子供世代に遺産として相続されるのではないか?
10年~20年くらいのスパンの中で。

じゃ、一人どのくらいだ?(なんだか急に楽しくなってきた!)
500兆を相続する人を1000万人とすると、
500,000,000,000,000円÷10,000,000人=50,000,000円  1人、5000万円!
本当? びっくりした!! 計算あってる!?

まあ、相続人は3000万人としよう。
それでも、1人2000万円弱だ。
そんな人たちが周りに3000万人もいたらすごいぞ!

このほかにも、土地や畑、家も相続の対象だ。
なにか、感覚が少しおかしくなって来やしないか?

まてよ!
確かに計算上はそんな感じだが、富は偏っているという。
60歳以上の平均貯蓄額は2千万強らしい。これだって、富裕層に引っ張られて、平均値が上がっているというが、すごい金額だ。
たぶん、一部の高額相続者はかなりの額の相続税で持っていかれると思う。
それにしても、エッツ!という感じだ。

確かに、自分の周りにも、遺産が入ってきて外車を買ったとか、家を建て直したとかいう人がいる。一方で、結構もめているケースも多いらしい。

まあ、架空の話なので、ある種、夢物語だ。

まあいいだろう。

我が家は、あまり関係ない。まじめに地道にやるだけ。

蛇足
5000万円入ったら・・・
高級車買って、美味いもの食べて、酒は大吟醸で、海外旅行はビジネスクラス・・

まてよ!
前にもそんなようなこと書いたような気がしてきた。
ボンノーは消えないねえ・・

棚ボタはろくなことない! たぶん!!

.
.


[PR]

# by yahhosaito | 2016-09-02 08:37 | 日々 | Comments(0)