2011年6月29日。
小説「津軽」に“ここは本州の極地である。この部落を過ぎれば路は無い。あとは海に転げ落ちるばかりだ。道が全く途絶えているのである。”という一節がある。
竜飛岬のことだ。
津軽半島。歌に詠われ古くはリンゴ追分から最近は石川さゆりや吉幾三の歌にも歌われている、津軽。竜飛岬、岩木山、十三湖・・・なんとなく旅情をかきたてる。
「そうだ、津軽に行こう!」ということで今回のサイクリングが決まった。
3泊4日。全走行距離は約200㎞。仲間はいつものN氏。
JRがやっている高齢者?向けサービス、ジパングに便乗して4日間乗り放題13,000円。これを利用しない手はない。まともに買えば3~4万するところだが13,000円は安い。
東京からの新幹線は高齢者で一杯だった。
大概は高齢者カップル。きっと長年連れ添った仲の良い夫婦なのだろう。我々前期高齢者二人組はかなり異端。お腹がたっぷり出た競輪選手スタイルなのだから…
大震災で苦戦中の福島宮城に思いをはせ新青森についたのは12:33。サスガ新幹線は早い。そこから、津軽鉄道に乗る。三厩という本州最北端のJRの駅がある。
そこで下車。自転車を組み立てた。
そこから先は線路がない。駅前には荒れ地とわずかな建物があるだけ。
今日のツアーは三厩から竜飛までの16㎞ほど。海沿いの道を走る。事前に調べた強風を懸念したが大した風はなく順調に海沿いを走る。
右に陸奥湾が広がる。天気が良ければ下北半島や北海道も見えるはずであったがあいにく視界が効かず海原が広がるだけ。
海辺に道にへばりつくように民家が点在し、おそらく漁業で生計を立てている方々なのだろう。
確かに津波が来たら逃げ場がない。わずかな平地の後ろは山と崖が迫っている。多くの日本の漁村はそうした地理的環境なのだと思う。
山の上に住宅を建て魚を取る時は海岸に下りて(通勤して)津波を回避する・・という意見もあるがこれを見ると山の上に住宅を建てるのがいかに至難の業かがわかる。
竜飛の民宿はまさしく素朴を絵に描いたような民宿だったが海の幸てんこ盛りの料理、宿泊客との会話、民宿のおばさんとの会話など結果的には3泊したうちベストだったかもしれない。6500円だったというのに。
因みに、料理メニューは鯛と鱸の活き作り、サザエのつぼ焼きと刺身、ナントカの煮魚と焼き魚、海鞘の和え物、イクラ、海藻のサラダ、ナマコの酢の物、あと何かがあった気がする。それと味噌汁とごはん。ビールとお酒はおばさんが近所の酒屋に買いに行ってくれた。ほとんど時価。
翌日、雨天の対応をあっちこっちに電話してくれ、我々の便宜を図ってくれた。
お客の草津から来たジャズミュージシャンにしてミジンコの研究家、坂田明氏似のご夫妻、元銀行員。ワイルドワンズの加瀬邦彦氏をもう少しおじいさんにしたような船橋から一人旅のT氏、みんなみんな素朴でフレンドリーだった。
竜飛の灯台。
津軽海峡を航行する船を照らす。洞爺丸は遭難の時、この灯を探したのかもしれない。
灯台の先に防衛省のレーダーサイトがある。北の守りを固めている防衛上の要地に違いない。
灯台の看板を見ると「密航」「不審船」は警察にとある。
湘南にいると無縁だが異国と対峙するということはこういうことなのだろう。
三厩~新青森までのコースはこちら(帰路、雨天のため一部電車利用)