2012年7月4日。
今日の新聞に「未知との遭遇の勧め」という記事があった。
ジョン万次郎は幕末時代、遭難して救助されたが、その時、一緒に救助された仲間と日本に帰る方法もあったが、彼はアメリカに残り、日米の懸け橋となった。
彼を付き突き動かしていたのは、圧倒的な「好奇心」らしい。
不安よりも好奇心の方が強かった。
米国に上陸し、彼は見るもの聞くものあらゆるものに、好奇心を示し、感動する。そして、自分の知識として取り込んでいった。
翻って、現在の自分たちを考えてみると、その好奇心を自ら芽を摘んでしまっているように思える。
行く前に、インタネットで情報を調べ、泊まる旅館のお風呂の様子から夕飯のおかずの種類や器の見栄えまで調べ上げて、頭に入れる。
付近の観光地から土産物のお勧めまでチェックして、いざ、本番(現地)で行く。
そこにあるのは確かにネットで見たあの料理にあの銘菓。
バーチャルで見た風景の現物を確認し、確かに画像と同じだ…、やっぱり本物は良いとか言って眺めて帰ってくる。
これが本当にいいのか…
やっぱり事前の予備知識なしで、行き当たりばったりで見聞きする景色や経験がそもそも旅の醍醐味であり、旅そのものではないか…
もしかしたら効率が悪かったり、定番の当然見てくるべき風景を見ずに帰ってくることになるかもしれない。しかし、何が旅の思い出で何が感動かを考えたとき、だれもが目にする風景や食べ物でなく、旅先で偶然見かけたちょっとした風景や、思いがけない出来事、見知らぬ人との会話や親切。そんなものが後になって鮮明に蘇ってくる。
事前に調べて、現地で見たものはあって当たり前。つまり「本物の確認」。
予備知識なく、現地でたまたま見たものは驚きと感動。つまり「未知との遭遇」だ。
感動のレベルが違う。
若い頃の海外旅行で思い出すのは、パリの地下鉄で道を聞いたおじさんとのやり取りや、ホテルの近くのスーパーで買い物をした時のこと。新婚旅行の深夜到着した滞在ホテルでタバコが切れて隣の新婚さんとタバコを貰いっこしたこと。ナポリで道に迷ってパニックになったこと。
エッフェル塔やコロッセオでは決してない。
そんな極ありきたりの些細な出来事が、有名な風景の記憶よりも鮮やかなのは何故だろう。
記事を読んで少し反省した。
調べていくのはもうやめよう。もとい、最小限にしよう。チェックするのは電車の時間と大体のイメージだけだ。
情報は大事だが、旅の情報は調べすぎると旅をハプニングから遠ざける。
出たとこ勝負。これに決めたぞ。