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 湘南の田舎から日々雑感
by yahhosaito
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「逃亡」を読んで 

2016年9月5日。

新聞で読んだ帚木蓬生氏の記事が気になって「逃亡」を読んだ。
「逃亡」は元憲兵だった父の軌跡を題材に1997年に小説にした。
上下巻1000ページを超える大作。

彼の父は戦時中、香港で憲兵として主に諜報部員として活動した。
香港人に成りすまし、密偵を使い敵情を探る。通信傍受、人の拘束や尋問、情報を得るために何でもした。
敗戦後、香港の軍事法廷で戦犯として指名手配されたが、一般人に化けて広州の邦人収容所に紛れ込み、46年に引揚船で日本に帰り着く。
日本では、実家を避け、母の里の福岡に隠れ住むが、数か月後に警察が来て本署に連行される。自転車の荷台に乗せられるが、途中、自転車を倒して逃げる。

村中の半鐘が一斉に響き渡ったという。
結局、1年ほどで潜伏先で逮捕され、巣鴨プリズンに収容される。死刑は免れないと思ったそうだ。しかし、裁く軍事法廷が閉廷し釈放される。
 戦時中の異常な世界の中で任務に就いた青年~壮年期の帚木氏の父親の思いは如何ばかりだったかと思うと、苦しい気持ちになる。重い小説だ。

中学生?の頃、「私は貝になりたい」というドラマの中で、市井の理髪店の主人が戦犯で死刑に処される内容をみて、なぜ、一介の理髪店の主人が死刑になるのか不思議に思っていた。
死刑になったのはA級戦犯の戦争指導者10数人くらいではなかったのか!?
実は、戦争犯罪人はA級のほかに、B級、C級があるのをだいぶ後になって知った。

A級は戦争の指導的立場にあった人。
B級は指揮・監督にあたった士官・部隊長。
C級は直接捕虜の取り扱いに当たった者、主に下士官、兵士、軍属であるという。

調べてみると、BC級戦犯は約5,600人で、各地で逮捕投獄され、約1,000名が軍事裁判の結果、死刑に処された。
遺族はどんな思いで戦後を過ごしたかと思うと戦争悲惨さが堪える。

 ところで、この小説にもあるが、戦後、海外にいた日本人は兵隊・民間を合わせて660万人という。この660万人がほぼ1年半の間にほとんどが内地に帰還した。
1年半に660万人とは凄い。仮に、3000人乗りの引揚船に乗ったとすると、2200回に当たる。
実際はどんなことだったのか?
乗船手続き、帰還受け入れ、船の配船や燃料。検疫と食糧確保、等々。

 8日25日、昭和天皇は海外で武装解除した日本陸海軍の将兵に対してこう諭したという。
「兵を解くにあたり一糸乱れざる統制の下、整斉迅速なる復員を実施し、以て皇軍有終の美を済すは、朕の深く庶幾する所なり」。
この勅諭にもとづいて、帰還する約360万人もの陸海軍将兵は、粛々と日本国土に還ってきたという。これを「復員」といった。

 引揚はGHQの指導で、厚生省に「地方引揚援護局」を設置し、実務に当たった。
佐世保、鹿児島、舞鶴、名古屋などの11カ所が担当し、引揚者は、中国本土から150万人、満州から110万人、朝鮮から90万人、ソ連から70万人など。
8/30には引揚者緊急措置要領が決定、9月半ばには雲仙丸が釜山へ出港し、10月初めに第1陣2100名が舞鶴に帰港している。

 不法に侵略した外地から引揚げるのは困難を極めたそうだ。
兵隊は戦争犯罪人や捕虜の扱いで簡単には返してもらえず、民間人は半ばたたき出されるような形で追い出された。
「岸壁の母」で有名な舞鶴港では66万人強が帰還している。
舞鶴で引揚に使った船は合計32隻。興安丸や高砂丸が有名だが、引揚順位などもあって待ちきれない人は漁船などを使った人もいるようだ。

日本に帰っても、衣食住に事欠く中、外地から引き上げてきた方々の中には、難民がごとく、冷たくみられる人も多く、一部は新天地を求めて移民した人もいるという。

    ***************

歴史はときどき振り返らないと、忘れる。
「温故知新」ときどきは思い起こしたい。
過去を振り返り、現在社会を眺め、未来に思いを馳せて、俯瞰的にみると、自分の立ち位置が見えてくる。今、何を為すべきか、何を求められているのか?

しかし、そうは思っても何もできないのが実態だ。
朝早く起きて、新聞を読み、妻におせっかいを焼いて小言を言われ、少々の畑を耕し、時々、地域活動や旅に出かけ、夜は飲んで早めに寝る位がいいところだ。

せめて、事実に少しでも触れて、頭の中にインプットしておきたい。

平塚美術館で 開館25周年記念【企画展】
    香月泰男と丸木位里・俊、そして川田喜久治
     -シベリアシリーズ・原爆の図・地図-
が始まる。
開催日は2016 年9月17日(土) ~11月20日(日)だ。

そうだ、美術館に行ってみよう。





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by yahhosaito | 2016-09-05 17:50 | 日々 | Comments(0)
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