yahhoのレゾンデートル


 湘南の田舎から日々雑感
by yahhosaito
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

カテゴリ:旅・サイクリング( 73 )


足柄峠サイクリング

2016年11月17日。

久しぶりにサイクリングに出かけた。
行先は秋の紅葉を見に足柄峠。

関本まで車で行き、駅周辺の駐車場に車を止めて、そこからグルーっと一回り。
およそ、45kmほど。

駿河小山の駅で同行のN氏と待ち合わせ。
関本からは17kmほど。
10:00の待ち合わせ時間に間に合うように8:30頃関本を出る。

R246の旧道を走るのは久しぶり。
かつては山中湖にテニス合宿に行くときの通いなれた道だったが、30年ほど前?に新道ができてほとんど交通量はなくなった。
くねくねとした道を大型ダンプカーがガンガン走っていたものだ。

数キロのあいだ、すれ違った車は2~3台。
おかげで、渓谷の紅葉を堪能できた。

駿河小山で合流し、そこから結構な登りが続く。
峠までは10km強だが、標高差は500mほど。平均斜度4.5%と年寄りには結構きつい。
キツイところは10%ほどある。
10%というと10m先の1mの高さまで登るということだから、100m先の10mということ。
これが延々と続くと堪える。

しかし、途中の紅葉は結構綺麗で、天気もほぼ快晴。
秋サイクを堪能した。

b0158170_07185557.jpg
足柄峠に着いたのは13:00ごろ。
あいにくこの時間は雲が出て、秀麗富士は雲に隠れてしまった。
まあ、富士山は我が家から毎日拝んでいるからいいか・・・

足柄峠は、かつての駿河の国と相模の国の国境の峠だった。
足柄峠を昔は足柄坂と呼んでいて、ここから東を「坂東」といった。
つまり、足柄峠はその入り口。
b0158170_07220558.jpg
足柄峠を越える道は東海道として整備され、足柄路といった。
別名を「矢倉沢往還」。

しかし、富士山の延暦噴火(宝永噴火の前)の際に、足柄路が通れなくなったために箱根峠を通る街道が整備された。
特に、江戸時代になると箱根路は険しいが距離が短いために東海道の主要街道として整備されて、足柄峠は脇街道になったという。
足柄古道がそこかしこから見ることができるが、狭い山道で昔の人は良く通行ができたなと感心する。

ここには関所も置かれていた。
その少し先から矢倉岳を見ることができる。
丸いお椀を伏せたような山だ。

サシバの渡りで有名なところ。
多い時は1000羽を超えるサシバが上昇気流に乗って、鷹柱を作りぐるぐると回って気流をつかみ、一斉に流れるように西に飛んでいく。
一説によると、伊良湖岬を目指すという。
昔、バードウォッチングで来たことがあるなあと思い出しながら、急な坂道を降りる。

あっという間に、30分強で関本に到着。
オツカレサンでした! ○




[PR]

by yahhosaito | 2016-11-18 07:22 | 旅・サイクリング | Comments(0)

碓氷峠

2016年10月5日。

5,6と長野に妻と出かける予定が、あいにくの台風。
念のため、予約のホテルに当日変更okか聞くと、okという。

というわけで、予定を1日早めて、天気の良い4,5に出かけた。
圏央道ができてからは、早い。
軽井沢までは2時間強。

旅の目的の半分は長野にいる次男のところに家に残していった自転車を届けること。
もう半分は志賀高原当たりでの紅葉見物。

軽井沢を過ぎて、18号線沿いに薪ストーブ屋さんを見つけ、ご主人と1時間ほどストーブ談義。
もうここで初めて40年以上という。
店にはストーブがたくさん並んでいる。
ストーブグッツもたくさん。

薪は運び用のエプロンのようなものと、煙突を塗装するペンキを購入。
そのほか、ストーブに関するたくさんのノウハウを教えてもらった。
非常に参考になった。

結局、志賀高原にはいかずじまい。
軽井沢の草木染美術館で絵と染色を堪能。
20坪あるか無いかの小さな美術館だが、天皇皇后は最近数回もご覧になっているようだ。

軽井沢は15度くらいだったが紅葉には10日ほど早い。
Pホテルの周りも一部楓が紅葉を始めていたが、全体には緑一色。
b0158170_20274501.gif
帰りは下道を通った。
碓氷峠は交通の難所。
アプト式の線路でも有名。
b0158170_20280786.gif
途中のめがね橋に寄った。
明治25年の完成。
使った煉瓦は200万個とか。
b0158170_20253203.jpg
あの時代によくこんなものができたと思う。
高速より下道の方がずっと面白い。

富岡から高速に。
18:00前には自宅に着いてしまった。
サスガ高速。








[PR]

by yahhosaito | 2016-10-06 20:29 | 旅・サイクリング | Comments(0)

石垣島サイクリング

2016年5月14日。

5/10~5/13の3泊4日で石垣島に出掛けた。
目的は島でのサイクリング。

ついでに西表島と竹富島、由布島を見学。
同行者はいつものN氏。
天気予報によると八重山諸島はそろそろ梅雨に入るという。
たしかにウエザーニュースによると5/10からは雨マークが!!

行きはANAで石垣島直行。フライトは3時間。早い。

果たして天気は4日間ともほぼ晴天。
島の人も今年は梅雨が何処かえ行ってしまったか・・と言っていた。
気温は30度を超えているだろう。
しかし、何とかこの程度の暑さなら何とかなる。


やはり八重山諸島の海は素晴らしい。綺麗だ。絵のようを通り越し、南太平洋の楽園の風情。
宇宙人から見たら、信じられない風景だろう。わが星にgetしたくなるに違いない。

全行程90kmほどだと思う。
サイクルメータは22インチ用にしてあったため、正確な測定は??になったが、デジタル記録は105kmを指していた。
最高スピード55.4km/h。
実際はこの0.85掛け位と思う。

快適で走りやすく、車もほどほどで良かった。GWシーズンはたぶんこの3倍くらいの人出はあったと思われる。
b0158170_08484882.jpg
竹富島も風情がある。
こんな景色が日本に残されていると思うと嬉しくなる。
静かにしていると、遠くから三線の音が聞こえる。
独特の音色と音階。
空は青く、赤いハイビスカスと赤紫のブーゲンビリア。
琉球瓦の上に鎮座しているシーサー。150cmの高さに統一された石積の塀。
道路に敷き詰められた白い砂。
b0158170_08490234.jpg
川平湾のグラスボートもgood.
サンゴや熱帯魚の多さにもびっくり。
b0158170_08525301.jpg
帰り、那覇でのトランジットで、会社時代の沖縄在住友人M氏に会うことができたのも良かった。
HISでの旅行だったが、旅も安くなったものだ。
多くの面で「旅」が顧客のためにシステム化され、きちんと機能していることを知った。



[PR]

by yahhosaito | 2016-05-14 08:53 | 旅・サイクリング | Comments(0)

熊本地震と東日本大震災

2016年4月19日。

九州が大変なことになっている。ひどい災害だ。
熊本城の被害、家屋の倒壊、死者。
まさに激甚災害。避難している人も10万人に迫る。

先日、東北から帰ってきた。
2泊3日で、角館から乳頭温泉、花巻、遠野。本来の目的は宮古に行って、東日本大震災の様子を見るのが狙い。
盛岡まで新幹線で行って、そこからレンタカー。ぐるぐると600kmほどを回る。

宮古ではかねてから行こうと思っていた地にやっと行くことができた。
田老地区で災害ボランティアの人から、種々説明を聞いた。
少し思っていた疑問が解けた。
b0158170_16382716.jpg
頑丈で強固な世界一と言われた防潮堤がなぜ壊れた。
実は、防潮堤は第1から第3まで作られた時期によって分かれている。
第1防潮堤は明治と昭和の2回の三陸地震の津波を経験に20年以上の歳月を費やして作られた。

設計には東京から専門家が2人来て指導し、昭和32年に完成している。
海面からの高さ10m。長さは1350mにも及ぶ。
この防潮堤の内部は石が積まれ、周りをコンクリートで覆うというもので、頑丈なもの。
構造は波の勢いが逃がせるように船の穂先のようにとがっている。
これは、今回壊れなかった。壊れたのは第2、第3の防潮堤。
b0158170_17160980.jpg
近寄って見ると、かなり高い。
これは昭和37年から53年に作られ、長さは合わせて1100mほど。
この上を津波が越え、そして壊れた。

実はこの防潮堤は主に高潮対策で作られたようで、強度があまりなかった。
今回の津波でもろくも破壊されてしまった。
現地で、爪痕を見ることができるが、その内部は石でなく、土が主体だ。
しかも、海に向かって、Ⅴ字型になっており、津波にエネルギーを結果的に集中させることになった。
実際の地形から、町を守るためにはⅤ字型にならざるを得ないところもあるのだが、何とかならなかったものかと、素人目には悔やまれる。
放送は3mの津波が来ますと、1回だけの放送だったそうだ。
そのあとは、停電になり放送設備が使えなかったとか。
3mならいいかと逃げなかった人も多かったそうだ。

ところが、実際は防潮堤10mをはるかに超す17mの津波が襲った。
その意味では、仮に破壊されなくても町は津波にのまれた。
しかし、逃げる時間はかなり稼げたはずだ。

非常電源など、何とかならなかったのか?
半鐘はなかったのか?
手動サイレンは鳴らせなかったのか?

いや、たぶん、実施されたのだろう。
でも、津波で流され、被災した。
海岸から田老観光ホテルまで200m強あるが、7秒で来たという。

田老地区は、昔から津波に襲われた地域なので、意識が高く、避難訓練や避難道路、対策などがかなり浸透していた。
年に何回か、訓練があり、実直に実施してきた。

ところが、
今から10年ほど前に平成の大合併で、宮古市に吸収された。
宮古市田老地区。ここから、住民の意識が変わったという。

想像だが、今まで、田老と言う限られた小さな地区で自治が成り立っていたのだろう。
自分のことは自分でやる。自分たちの地域は自分たちが守る。
そういう自治活動がしっかりしていたのだろうと思う。
ところが、大組織になって、自分たちがやらなくても、上の組織がやってくれる、守ってくれるという意識と、市の大方針に従った運営に従うといったような意識に少しづつ変わって、何時の間か、昔から引き継がれてきた伝統が、新しい体制の中で凌駕されていった。泥臭い地道なことに目が向かなくなった・・・
世の中が少しづつ変わってきた。

そして、災害が起こってしまった。
この過程は、良く分かるような気がする。
いつの間にか、子ども会はいらないものになり、夏休みラジオ体操はやらなくなり、ゴミ当番もなくなり、自治会もいらないのではとなる。
目に見えるものが「必要な事」であり、コスパが判断基準になる。

何か、どこか状況と一緒だ。
そうならないように気を付けたい。
b0158170_16472812.jpg
角館は桜にはまだ少し早かった。
乳頭温泉の孫六温泉は一昨日からの営業とか。
露天風呂の周りは雪だらけ。
カタクリの花や水芭蕉は見ごろを迎えていた。
b0158170_16475093.jpg
b0158170_16481303.jpg
b0158170_16465224.jpg
田老地区の防潮堤は高さが7~8m。海面からは10mの高さだが、これが延々と述べ2km以上も続く。
特に第1防潮堤はその形から「万里の長城」と呼ばれた。
上に70cm位の長方形のギザギザが800個ほどある。
それが万里の長城の形に見える。

地盤が70㎝ほど沈下したため、新たに70㎝強かさ上げしたコンクリートの壁を補強した結果、800個のギザギザはほとんどが壊され、一部をモニュメントとして残した。

しかし、

実はこの800個のギザギザ(初めの写真参照)は三陸沖津波で亡くなった800名の数と一致する。
これは亡くなった方々の墓標ではなかったか!?

そう思ったとたん、鳥肌が立った。

   ********************************

熊本は一刻も早く、避難状況が改善されるを祈るばかりだが、遅々として進まない。
明日この辺で起こってもおかしくない、地震や津波。
地域の活動として、出来るところから、力を合わせてやっていきたい。






[PR]

by yahhosaito | 2016-04-19 16:49 | 旅・サイクリング | Comments(0)

西丹沢サイク

2015年11月14日。

秋も深まって、紅葉見物にと丹沢湖に出掛けた。
サイクリングは今年2回目。
前回は三浦半島だった。
今回は、近場で西丹沢とした。同行者はいつものN氏。
コースは約40km。かなりお手軽コースだ。
b0158170_14214798.jpg
丹沢湖は5年ぶり位かもしれない。
崩落でしばらく通行止めになっていた、ユーシン方面の隧道も通れるようになっていて、こちらのコースもおすすめ。
ただ、大手旅行者のハイキングツアー客とばったりで、少々自転車とハイカーでは気も引けるので、少し静かなコースに変更。
それにしても5年ぶりだと何か事情も変わって、複雑な気分。

と言うのも、湖畔にあった丹沢湖ビジターセンターが無くなっているではないか!
丹沢の自然を知るにはなかなかいいところだったのに残念。

コストパフォーマンスを問われると、中々辛いところがあるかもしれないが、こういう活動はコストを測るメジャーが他の経済活動の指標と少し違うから、一概には難しいところだ。

18年間活動したという。
HPを見ると、なかなかいい情報が掲載されている。残念。
また、少し奥の方にある中川温泉の中川荘もなくなっていた。
あそこではテニスの合宿で何回も泊まった。

新しいものが生まれれば、古いものはなくなっていく。
まあ、道理だが、チト残念。
b0158170_13362874.jpg
丹沢は紅葉真っ盛りと言ってもいいかもしれない。
天気が良かったらもっと素晴らしい紅葉だったかもしれないが、晩秋の効用と言う風情で、これはこれでよかった。

b0158170_13363977.jpg
20年後の2055年あたりには、人口は9000万人を切るという。
今より3000万人も少なくなる。
今回見たようにこの前まであった施設が、次々と無くなっていく。
人が減って維持できなるという現実がもう目の前だ。

なんだか、今回その一端を見て少々複雑な気分にもなった。





[PR]

by yahhosaito | 2015-11-14 14:16 | 旅・サイクリング | Comments(0)

信州・北陸方面

2015年9月29日。

妻と金沢北陸方面に3泊4日の旅に出かけて、一昨日帰ってきた。
あと少しで古希になるため、記念に行った。少し早いが信州や北陸の紅葉を見に。

1日目は長野の安曇野から初秋の北アルプスを見るはずだった。
残念ながら、雨。山々は雲の中だった。

大糸線の穂高と言う駅の近くに、「碌山美術館」がある。
最近はあちこちに美術館が出来ているが、碌山美術館は昔からある。
安曇野の代表的な風景(佇まい)でもある。

碌山は本名を荻原守衛(はぎわらもりえ)と言い、明治時代のブロンズの彫刻家。
特に、「女」が有名で、日本の彫刻で初の重要文化財になった作品。
モデルは銀座中村屋の創始者の奥さんで相馬黒光(そうまこっこう)。彼女は才気あふれる魅力的な女性だったそうだ。
碌山は黒光に惹かれ、苦悩の中で作品を作る。
「LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY.-愛は芸術なり 相剋は美なり-」と言う言葉を残している。
天才芸術家は30歳の若さで夭逝する。
b0158170_07571663.jpg
碌山美術館の建物はレンガ造りで蔦に覆われ、雰囲気のある建物。
その他の作品もとても良かった。
その日は白馬八方のラ・フォーレに泊まり、翌日はケーブルやリフトで2000m位まで行って、紅葉を見る予定だったが、あいにくの雨。あきらめて、ラ・フォーレのすぐ前にあるラフォーレ白馬美術館に行った。
ここはシャガールの絵がたくさんあって、これも素晴らしい。

白馬から糸魚川をめざし一路能登半島の七尾市へ。
2日目はカミさんの念願だった加賀屋に泊まった。
加賀屋は顧客満足度日本一を30年以上も続けている名旅館で一度は泊まってみたいということだった。
首尾よく、15階の雪月花と言う部屋に泊まることが出来た。
七尾湾が一望でき、素晴らし部屋と料理を堪能した。
エレベータホールはクルーズ船のホールの様で上まで吹き抜けで、バーラウンジやステージが共存している。
絨毯や壁の絵、飾り物が花の名前が付いた各階ごとに統一されている。
15階は水仙。確かにこのホスピタリティはなかなかのもの。サスガだ。
古希の記念旅行とのことで、美人若女将が記念品を持って挨拶に来てくれた。
b0158170_08080045.jpg
3日目はそこから金沢を目差す。七尾には七尾美術館には長谷川等伯の作品がたくさんあると聞いていたので、行って見たかったが、時間の関係でパス。
金沢は21世紀美術館を見たがイマイチ。暑くて、疲労気味。

30kmほど離れた小松市の宮本三郎美術館にも行ってみたかったが、これも疲労のためパス。

金沢ではちょっとした事件もあった。
金沢の近江市場で海産物を買ってお金を払おうとしたら、財布がない。
車の中に置きわすれたかと、駐車場に戻って探したがない。
さては旅館の支払いの時に(その時、財布を使った)カウンターに置いたままだったかと思い、(最近こういう事が多い!)加賀屋に電話してみた。
フロントが出て内容を伝えていると、その時、カミさんが「あった!」と言った。

何処にあったか。車の外に落ちていた。
車体の下の半分くらいかくれて。布の旅行用の札専用財布にほぼ全額入れてあった。
いや!良かった。カミさんは90%ほどカクゴしたらしい。
妻の膝の上から外に出るとき、車外に滑り落ちたらしい。まずは一件落着。

3日目は福光と言うところに泊まった。
七尾から金沢経由、平塚まで強行軍と言う手もあったが、通算すると600km位一日に走ることになるので、安全を取って、金沢近くの福光に泊まることにした。

旅館の近くに棟方志功の小さな美術館があり見てきた。
志功はここに6年ほど住んでいたという。
志功の娘にちよゑさんと言う人がいて、うちのカミさんは絵手紙の関係で一緒に湯河原に一泊スケッチ旅行に行ったことがあると言う。
10数年前の話だが、ちよゑさんは青の和服を着ていて、とても素敵だったと言っていた。

4日ぶりに家の帰ってきたが、やはり自分の家が一番いい。
多分、自分のカミさんが一番いいと言う感覚と同じだ。(うふ)



[PR]

by yahhosaito | 2015-09-30 08:08 | 旅・サイクリング | Comments(0)

京都へ

2014年12月2日~3日。

先週の長野に続いて京都にサイクリングに出掛けた。
長野は思い付きだったが、京都は2か月ほど前からの計画。

新幹線で米原まで行き、そこから自転車で琵琶湖を半周しそのあと京都へ行くもの。
1日目は米原から長浜に行きそこから戻って彦根、近江八幡を通って琵琶湖大橋の近くにあるラフォーレ琵琶湖に泊まり、2日目は琵琶湖大橋を渡って京都に入り、大原、洛北、京都市内を自転車で散策する。

長浜は秀吉が城を作り、琵琶湖の北の地方として栄えたところ。
戦国時代の遺跡が沢山ある。
街並みもどこかおっとりした所があっていい雰囲気だ漂っている。
b0158170_11173190.jpg
城の目の前は琵琶湖。
やはり、戦の守りとしての築城と、船での交通の便を考えての場所だと思う。
琵琶湖は周囲が200kmを超え、対岸までは30km近くあるらしい。
大きい。

天気は抜群に良かったのだが、急に気温が下がり、日中も7~8度。おまけに風が強く、体感的には0度近くだっただろう。
寒いのはまだしも、向かい風は自転車乗りにはこたえる。

結局、宿まで自転車は日没を逆算して、4時前にギブアップ。
途中、草津線?に乗り換えて無事17:00過ぎにラフォーレ到着。ヤレヤレ!

ここは元弊H社が法人会員になっていて、会員?価格。
築30年とホテルの人が言っていたが、なかなか綺麗で素晴らしいホテル。
従業員の対応も完璧で気持ちいいホテルでした。

この時期、たぶん客は満室の50%以下と思われ、その1/3は中国や韓国からのツアー客のようだった。

翌日はバイキングで目いっぱい食べて、エネルギーを蓄積。
8:10、大原を目指して出発。20kmほどの行程。
但し、高さ300mほどの峠を登る必要あり。これが結構キツイ。

大原三千院は結婚して間もなく来たような気もするがそれでも40年ぶりかも知れない。
紅葉は盛りを過ぎていたが、聞くと11/22頃が見ごろで、最盛期は10,000人くらい一日にきて、それは大変、今日はその1/20~1/30ですと言われた。
そりゃすごいことだ。
b0158170_11351637.jpg

そのあと、詩仙堂、銀閣寺をめざし、下賀茂神社、南禅寺をみて、京都市内へ。
京都の神社仏閣は鎌倉と違って、大規模で派手。
鎌倉と京都とどちらがお好みかと言われると、難しいところ。
b0158170_11213967.jpg
京都は大きすぎて少し庶民の実感から離れたところのような感じもする。
自分は鎌倉のこじんまりした花の寺の方が親しみやすい。

京都駅18:33のひかりで「菊水」をたしなんでいるうち、あっという間に小田原に。
京都を出て、3時間後には我が家のお風呂に浸かっていたのでした。

[PR]

by yahhosaito | 2014-12-04 11:27 | 旅・サイクリング | Comments(0)

西伊豆サイク

2014年9月30日~10月1日。

気候が良くなってきたので、仲間とサイクリングに出掛けた。
今回は、2日間で伊豆の下田の手前、稲梓(いなずさ)というところから、山越えをし、西伊豆の松崎に出る。
そこから、堂ヶ島を経由して土肥温泉。ここで一泊。
2日目は土肥から戸田を通り、大瀬崎を巡って、沼津に行くというもの。
全行程で観光地ブラブラを入れて約110kmと言ったところか。
b0158170_05462124.jpg
途中、200mを超える峠が3カ所。140~150mクラスの峠が4カ所ある。
これが結構キツイ。
自転車のいいところは上り坂があれば、大概、下り坂があるのでまあ楽なところもあるわけだが、上りも5%を超える坂は老体には少し酷だ。

まあ、西伊豆は交通量は少ないし、自然もたくさん残っていて、眺めも抜群、なかなかいいコースだ。
思えば、カミさんと出会ったのも、ここ西伊豆。
会社の旅行やキャンプでも西伊豆に何回か来た。

土肥の民宿は海の幸オンパレードで美味しく、特注の伊勢海老の刺身は結構でした。

あと、何年できるかわからない老体サイク。
今のところ、元気で出かけられるのが何より。
初日の朝早くと2日目の帰り、妻が駅まで車で送迎してくれた。感謝。
b0158170_05541935.jpg

[PR]

by yahhosaito | 2014-10-03 05:47 | 旅・サイクリング | Comments(0)

山中湖~伊勢原

2014年7月15日。

山中湖~伊勢原間、約75kmを走ってきた。
全体の2/3は下りなので、基本的には楽チンサイク。
しかし、何カ所か坂があって苦労した。

前日、胃カメラを飲んで撮影したので、その結果ではサイクを諦めるかという状況でもあったが、シロだったので挙行。
半年ほど前から、どうも食品の喉の飲み込みが悪く、かかりつけの医者に言ったら、胃カメラを飲んで検査した方がいいと言われ、7/14に検査をする羽目になった。

6月に東海大で人間ドックをやったばかりだというと、バリウム検査ではなかなか分かりにくい、最近の胃カメラは鼻から入れるからラクチンと言われ、7/14を迎えた。
昔、喉からの胃カメラで最悪だったことを思い出し、いくら鼻からだって嫌だなあと思いつつ・・・

喉もそうだが鼻も敏感なたちで、第一、鼻毛1本抜いただけで、くしゃみが20回くらい出る。そこに5mmほどの中部を入れるなんて想像しただけでも恐ろしい。

結果は、喉から入れる胃カメラの1/2以下の負担感。
まずまずでした。

自宅から、伊勢原まで車で行き、小田急で新松田。御殿場線に乗り換え、御殿場駅から富士急バス。山中湖の旭が丘で下車。
そこから、75kmほどを走る。
まずまずの天気で、気温は30度以上あるかも。
b0158170_06254823.jpg
ダウンヒルだから快適。
途中で食べたお昼御飯が、街道沿いのトラック運転手の常連食堂らしく、美味。
大盛りをたらふく食べて満足。

厚木経由、伊勢原に戻ったのは17:00過ぎ。
まだまだ脚力はありそう。
あと、数年は無理してでもサイクに行けそうと感じた。

[PR]

by yahhosaito | 2014-07-16 06:26 | 旅・サイクリング | Comments(0)

大島にサイクリング

2014年4月14日。

伊豆大島にサイクリングに出掛けた。
2日間の予定で島を一周する。

熱海から高速ジェット船に乗ると45分で岡田港に到着。早い。
何しろ最高80kmのスピードだそうだ。船でシートベルトを締めるのは初めての経験。
だが、片道5000円弱はチトお高いか!?そのほか自転車運搬代も1000円。アリャ!?

まあ、多少の出費は老後の充実?には仕方ない。なにせ、お金は生きているうち使わないと死んでからではただの紙切れか数字¥遊び。

1日目はなんと雨。日本のここだけがどうやら雨らしい。
昨年の十和田湖も雨で散々だった。
しかし、旅はこういうハプニングがあるから結構こういうのが後で思い出となるので皮肉なもんだ。

宿泊場所の大島観光ホテルは三原山の中腹にあり、7kmほどの坂道が何ともつらb0158170_07300193.jpgかった。しかし、やがて雨も上がり、ホテルの温泉から見るのは絶景。
ちょうど新緑と大島桜が見事で絵のような景色を堪能した。
ホテルはさすがに年季が経っていてイマイチ感はぬぐえなかったのだが、料理がなかなかよく、おいしいりょりと美味しいお酒を堪能。verygood!

椿油のオイルフォンデューは誰の発案か。ふつう、オイルフォンデューは油で揚げ、たれを付けて食べると思ったが、ここでは天ぷらの衣をつけ、油で揚げる。だから、串刺し天ぷらのようなもの。
これまた結構。ボリューム、お味ともデリィシャス!朝も喰い過ぎた。

翌日は快晴。
昨日、坂道で辛い思いをした分、今日はダウンヒル中心で快走。
b0158170_07460738.jpg

途中、昨年の土砂崩れの大災害で多くの方々が亡くなったが、この土石流や木々を運ぶ大型ダンプがかなりの数すれ違う。大島は自然災害でいろいろ苦労されている。

オタイネの碑はかつて40年以上も前にサイクリング?で訪れたことがある。
少し高揚感を持って再訪した。
b0158170_07462810.jpg
朝鮮の貴族の娘だったオタア・ジュリアは、キリシタン大名だった小西行長の養女となって洗礼を受け、キリシタンとなったが、キリシタン禁止令にふれ、大島に流されたという伝説があるという。b0158170_07461972.jpgその間、オタア・ジュリアが改宗することを目論んでいたが、その固い信仰心は最後まで変わらなかったと書いてあった。

島の荒涼とした一角に筆島があり、その手前に十字架がある。
すこし場所とそぐわない風景だが、何とも言えない雰囲気がある。

有名な波浮の港。
ここも何年振りだろう。小さな漁港だが歌に歌われ小説になっている。
やはり島はある種の雰囲気があるのだろう。
そうえいば、「シマダス」なる本もある。もちろん語源は「アメダス」にちなんでいる。

帰りは少し荒れていたが、ジェット船もなんとか熱海に到着。
2日間で75kmの走行。
大したことはないか!?まあ、ゴールド手前のシルバーだからね。
ご苦労さんでした。


[PR]

by yahhosaito | 2014-04-16 08:13 | 旅・サイクリング | Comments(0)