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 湘南の田舎から日々雑感
by yahhosaito
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上海  ―租界もしくは魔都と呼ばれた都―

【プロローグ】
2010年5月1日、上海万博がスタートした。上海の浦東地区を中心に総工費約5兆5千億円をかけて行われる国家の威信をかけた一大イベント。参加国は246。
上海市民にとっては待ちに待った万博に違いない。

私は機会があって5月の初め、上海を訪れることになった。
実は上海は今回で2回目。最初は5年前の2005年。ちょうどSARSが猛威を振るっている最中の中国であったが、7月は何とか収まってタイミングよく行く事が出来た。

そして今回の2回目。
ある種の親近感をもって上海をみて、また昔から小説や歌で身近だった上海を実際に目にして、訪れ見聞きしていると、現在の賑やかさとは裏腹の、魔都と呼ばれた租界―上海―の実態と苦難に満ちた歴史が透けて見えるような気がしてくる。

租界と魔都。
何か意味ありげなこの響きに今回の旅行を機会に少し調べてみようと思った。


【租界、上海とは】
租界、あまり聞きなれない言葉だが(あるいは学校で習ったかもしれないが)租界とは中国政府の統治が及ばない外国人居留地という意味で、戦勝国が国土を占領(領土化)するところまでは行かないが植民地的にある一部の都市を保有することを言うらしい。
詳しい定義は分からない。中国は当時、清国といった。

一夜指令(1840)でアヘン戦争!
学校時代にごろあわせで暗記した1840年。
アヘン戦争は、清国とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われた戦争である。清国とイギリス、米国の三角関係の中で紅茶の輸入とアヘンを巡りそれぞれの利得が戦争に発展、1842年、アヘン戦争によって清国が敗れるとイギリスは南京条約で上海を租界として借り上げることになる。

ややこしいことに、イギリスに続いて、1848年にアメリカ合衆国、1849年にフランスもそれぞれ上海に土地を租借、1854年英米仏が行政を統一して租界となった。
しかし、フランスのみは1861年に再び単独のフランス租界とし、英米租界は1863年に国際共同租界となって、上海市民はそれぞれ各国の思惑に翻弄されることになる。

一方、租界では行政権と治外法権が認められ、道路・水道などインフラが整備され、建設・管理、警察・消防などの行政自治権を行使するようになって、西洋化が一気に進んでいった。
さらに、1865年には香港上海銀行が設立されたことをきっかけに、欧米の金融機関が上海に続々と進出しはじめた。
こうして治外法権を認めた清政府の施政権もほとんど及ばない状態になり、変わって現れた英米仏の西洋文明を受け入れながら上海は変容していった。共同租界ではバンド地区や南京路を中心に、フランス租界は淮海路を中心に西洋街が建設された。

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【上海の発展】
租界は当初西欧人の町であったが、1850年から10数年続いた宗教内乱である太平天国の乱を経て情勢が不安定になると多くの中国人が上海に流入していった。さらに辛亥革命を終え、軍閥が内戦を始めると更に人が集まるようになっていった。
それには以下の事情があったようだ。
租界の取り決めを行った条約では租界地での中国人犯罪者は中国政府に引き渡すはずであるが、上海には中国中央政府の施政権がほとんど届かないに等しい。

このために上海は中国人にとって法の抜け穴として機能し始める。特に政治犯の引渡しは行われないことが大半であったため、中国人の中には上海で結社を組む者や現政権に対する革命勢力を組織する者も現れた。
特に青幇(ちんぱん)は中国の秘密結社として中国の暗黒面を代表する犯罪組織になり、アヘン、賭博、売春を主な資金源として一時は中国全土の取引を支配のような組織となった。
また、これらの結社の中から国家主義的な思想を持つものが流行しだし、やがて反英的な活動から始まり、第一次世界大戦で日本が中国政府に21ヶ条の要求を行うと反日的な運動へと代わって行った。

一方で、上海では外国から訪れる人間にパスポートは不要であった。
このため、ロシア革命後には白系ロシア人が上海に多く流入し、住み着くようになった。更にアロー号事件やその後中国が行った条約によって治外法権を得たドイツ、イタリア、日本などの列強の人々もこの町に住むようになった。様々な人の流入と共に上海は豊かさを増し、これらの外国人によって上海は多様な文化を与えられた。

1928年のバンド上海は治安は悪かったものの、人々の自由は保障されていた。租界は治外法権とは言え中華民国(旧清国)の工部局が強力な警察組織も持っていた。このため内乱や掠奪などが横行し法も警察も無いに等しい中国内陸部よりは治安はだいぶましだったようだ。また、上海の法は外国人に有利に作られていた。

さらに、当時中国の軍閥が行っていたような思想の取締りのようなこともなく、考え、発言するのは自由であった。また、麻薬や売春といった行為が禁止されていたわけではなく、これらの行為は見過ごされることが多かった。
この地域の利権を持った外国人に迷惑がかからないのであれば上海人には一定の自由が与えられた。
混沌とした中にも上海の持つ自由は様々な人間を受け入れた。
その結果、旧来の中国の一般常識に囚われない生活形式の変化が起こり、上海から中国へさまざまな影響を与えていった。『阿Q正伝』、『狂人日記』などで有名な魯迅も上海で暮らした。

また、上海はアジア金融の中心ともなり、香港上海銀行をはじめ、多くの銀行が軒を並べるようになった。一方で商社なども増え、長江をルートとして内陸から流れ込む富をもとに莫大な富を生んで行くことになる。
内陸からは様々な食材が上海に運ばれてきた。こうした豊富な食料品を使い、上海に住みついた人々で様々な料理店も出来た。

また、上海に住む多くの人々の豊富な消費を見込み、百貨店のような大型販売店も増えていった。中国本土と異なり自由な発想が出来たため多くの思想誌や映画産業も発展していった。半面で規制が緩やかだったために阿片窟、売春宿、カジノなどの商売が行われ、裏の社会が築かれていった。
その中でも黄金栄、杜月笙、張嘯林は青幇の親分格として名をはせた。3人は地域の裏の顔役として闇社会を牛耳った。

一方で娯楽が豊富にあったために上海は地方の人々にとって憧れでもあった。
都会の持つ華やかで危うい魅力があった。事業に成功した者はバンドに洒落た建物を立て、最新の消費文明を享受した。豊かになるに従ってさらに多くの外国人が訪れるようになった。
流入したのは外国人だけではなく、多くの中国人も仕事を求めて流入し始めた。安い中国人労働力を求めて多くの工場も建てられた。多くの人によって産み出された莫大な富は上海に摩天楼を築き上げた。


しかし、勝ち組が沢山いた反面、それ以上に事業に失敗したものが多く出た。
失敗した人々は貧しいものだった。その結果、多くの中国人は労働条件の悪い仕事のもとで、劣悪な住宅環境の中、麻薬や売春などの行為に手を染めるものも多かった。これらは後に労働運動の加速に繋がっていくことになった。

こうして上海は極東一の大都市になり黄金期を迎えることになった。最盛期には150万人を超える人間が狭い租界の中に暮らした。人口密度は世界でも最大に達していた。また、上海はこのような独特の背景から魔都とも呼ばれるようになった。
そんな時代が1930年台初めまで続いた。


【その後の上海】
しかし、1927年蒋介石による北伐が開始されるとこの町も次第に戦乱に巻き込まれるようになってきた。
1927年の上海クーデター、1932年の上海事変、1937年の日中戦争では日本が空爆が行われ、長江には軍艦が登り砲撃を始めた。そして上海は日本の占領下におかれることになった。
1941年、太平洋戦争が起こると日本軍は共同租界に進駐し、英米人は抑留された。こうして上海租界は衰退していった。

1943年南京の汪兆銘政権が公式に共同租界、フランス租界を接収し、租界の歴史は終わりを迎えた。一度いなくなった外国人たちも上海に戻り始めたが、1949年以降は国共内戦で国民党が敗退し、上海を中国共産党が管理するようになり、往時の自由は戻らぬまま、上海租界の繁栄の歴史は閉ざされた。


【現在のバンド】
租界時代の建物も残る鄧小平による改革解放政策後、旧租界地区と黄浦江を挟む対岸の浦東地区を中心に、上海は急速に発展しており、新たな金融センターの様相を呈している。
しかし旧租界地区には現在も多くの場所に租界時代の面影が残っている。バンドでは当時立てられた建物が当時のまま、あるいは中国風に修正されて残り、これが上海の観光資源にもなっている。夜になるとバンドの建物がいっせいにライトアップされている。当時栄えたバンドからは東浦が見渡せる。昼間は黄土色に濁った川であるが、夜は街の明かりを反射して美しい。

特に2010年の上海万博に併せて上海は大きく都市の様相を変貌させた。
バンドの川沿いは都会的な洒落た遊歩道となり、街路樹が植えられイルミネーションも一層きらびやかになった。
夜遅くまで若者や地方からの観光客、外国人などで賑わっている。
対岸の高層ビル群はライトアップされ未来都市の様相を呈している。上海タワーは光で瞬き川には電飾で飾りつけた遊覧船がひっきりなしに行きかい、デズニーランドを見るようである。
川の往来はかつては船によるものであったが、外灘観光トンネルが完成して5分足らずで対岸にいけるようになった。

上海森ビルは地上101階、高さ492m。「垂直の複合都市」とよばれ世界中から人々が集う商業施設やカンファレンス施設、最高級ホテルなどを擁し、上海におけるビジネス、文化、エンターテインメントの一大拠点となっている。また、世界一の高さとなる展望台や建物の最上層部、天空に大きく開けられた四角い窓は、上海のランドマークとして上海の誇りのひとつとなっている。

一方で少し中心部から眼を移すと街中でも結構昔ながらの上海の面影を見ることが出来る。
狭い路地や行きかう普通の人々。生活の匂いが漂い、生身の人間の暮らしが見える。
未来都市の一面と中国4000年の歴史を今に伝える一面の両面が混在している。
ただ、その混在は急速にバランスを現代的方向にシフトしてきている。

バンドの前に流れる大河、長江の本流と思っていたがよく地図を調べると、支流としての一本の川だった。本流はもっとはるかに大きかった。やっぱり、中国は大きい。この国を舵取るのは難しいことだろう。

         *記述に当たってWikipedia他を参考にさせて頂きました。
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by YAHHOSAITO | 2010-05-30 20:17 | 海外・クルーズ | Comments(0)

釜山 -上海クルーズ7日目-

2010年5月8日。

済州島から釜山(ぷざん)までは海上300kmほどだろうか。
昨日の夜2100ごろ出航して朝には釜山港に着いていた。
釜山は大きな港で韓国第2の都市でもある。
今日はテンダーボートでの接岸でなく、国際旅客ターミナルの接岸なので昨日の様なトラブルは無い。

船でエクスカーションを申し込み、初めに国連墓地に行く。
朝鮮戦争で戦死した22カ国の兵士が眠ると言う。

朝鮮戦争。
世界第二次大戦で朝鮮半島全体がソ連の支配下に落ちる事を恐れたアメリカは38度線を境に南北の分割をソ連に提案し、スターリンはこれを受け入れて南北朝鮮が実現。
しかし、1950年、北朝鮮が軍事境界線を越えて侵攻したことによって朝鮮戦争が勃発した。3年間続いた戦争は双方とも膨大な被害が出て、多くの人が亡くなった。

国連墓地は大変立派な墓地で、ゲストハウスで学校ではほとんど3分で終わってしまった朝鮮戦争の解説を30分ほど聞くことが出来た。
国連軍が戦ってくれたおかげで今の韓国、私たちがあるのですと、ほとんど吉本興業のノリだったガイドさんがこのときばかりは 涙ながらに語ってくれた。

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プザン港に入る              国連墓地入り口


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チャガルチ魚市場              釜山タワーから市内を見る


その後、
龍頭山公園、ここは釜山のランドマーク的存在で、118メートルの釜山タワーがあり、釜山と周辺の海のすばらしい景色が見える。晴れていれば対馬も見えると言う。

国際通り、チャガルチ魚市場を見学し、またまたロッテデューティフリーショップへ連れて行かれた。妻が春に買いそびれたコートを見つけ、買うことに。まあいいか。

それにしても、どこも1時間ほどではなかなか多くを見学できない。
こうした観光の限界かもしれない。しかし、見ると聞くとでは大違いと言うところもある。短いながらもいい勉強になった。
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by yahhosaito | 2010-05-25 07:25 | 海外・クルーズ | Comments(0)

チェジュ島      ―上海クルーズ6日目―

2010年5月7日。

昨日1400に上海を出発して今日の朝7時にチェジュ島に着いた。
チェジュ島は漢字で書くと済州島。このほうが分かりやすいかも。
韓国の最南端に位置する火山島で大きさは佐渡島の2倍強。「韓国のハワイ」とも呼ばれ、島の中央に漢拏山という標高1950mの休火山がある。韓国では最高峰の山だそうだ。

ここには港に接岸できないのでテンダーボートに乗って島に上陸する。
ボートは100人乗り。約1500名くらいが降りるから普通は5隻位のボートで3往復するが波が少し高いとの事で3隻?のボートで下船したため、なんだかんだで1時間くらいかかった。
しかも第一便が出るまでに1時間半くらい待たされた。これも波の関係だと言う。
そんなに高い波のような気はしなかったが・・・

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テンダーボートで済州島へ              薬泉寺



さて、上陸。
そこから観光バスで大きな温室に連れて行かれた。まあ立派には違いないが江ノ島の温室や大室山の温室を見ているのでいまひとつ。展望台から見ろ景色はまあまあだったか。
次に薬泉寺。東洋で最大のお寺と言うことで大変大きい。
中に毘盧遮那仏が安置されており、大変立派だが建物は近年再建されたとのこと。どういうわけか白いグランドピアノが仏の斜め前に置いてあった。
天井の彫り物?仏絵が見事。

続いて石柱が海岸線に重なり合っている大浦海岸柱状節理帯を訪問。
一見伊豆の伊豆高原城ヶ崎海岸海岸風だが規模はこちらのほうが大きい。まあしかし雰囲気は似ているぞ。
目の前で沖から来た観光モーターボートが海原で大スピンをして乗客も見物客も楽しませてくれた。

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さて、目玉はロッテホテルの買い物(か!)?
素晴らしく立派なホテルで超豪華。デコポンジュースとケーキセットで38,000ウォンも払ってしまった。シマッタ!

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デコポンジュース              帰りのテンダーボートを待つ

帰りがひと悶着。
テンダーボートで船に戻るが、また、波が高いとかでボートが中々出ない。
港に1000名以上が順番待ちをしている。日が落ちると昼間の暑さが嘘のように涼しくなり、やがて海風が寒風に変わった。みな薄着だったので寒さに震えだした。

ところが一向にテンダボートの順番が来ない。結局ここでも1時間半以上待たされることになる。乗客が苛立ち殺気立ってきた。風を遮るためにバスを風防にせよとの乗客の意見から1時間もあとになってバスが風よけになり、さらにバスの中で待機することになった。われわれは椅子に座れず立って順番を待つ。
やがてテンダーボートの順番が。

なんともお粗末なテンダーボート乗船劇となった。
やっとのことで船に戻り2030にディナータイムすれすれで夕食にありついた。
まあ、安全第一ということで気を取り直そう。

しかし、待っているうちに波が高くなり船に戻れなくなったならどうしたのだろうか・・・
Narrow escapeとはこのことか。この辺のやり方には一工夫してもらわなければならない。

食事を食べ終わって本日のショ-に出かけた。
ベートーベンの「運命」から始まったコンサートは実はコミカルクラシックコンサートだった。
しかし、素晴らしい技巧に皆酔いしれた
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by yahhosaito | 2010-05-23 22:52 | 旅・サイクリング | Comments(2)

雨の中の散歩

2010年5月23日。

昨日は五月晴れの素晴らしい天気だったが今日は朝から雨。気温も昨日より10度近く低く肌寒い。しかし、晴れていると、なんとなくじっとしているのがもったいないような何かにせかされているような気がするが、雨だとそんな気も薄れて心落ち着くのも一面である。

第一嬉しかったのは昨日畑の農作物を植えたので今日の雨は恵みの雨となる。
昨日植えたのは「なす」「きゅうり」「すいか」「ピーマン」「さつまいも」後、なんだっけ?
少し植えるのは時期的に遅かったが何とか苗も買うことができ植えることが出来て一安心。
そしてこの雨。

実は昨日今日神奈川県で植樹祭があり天皇皇后両陛下が小田原や秦野に来られて式典をやったはずだ。昨日は快晴でよかったが今日はさてどうだったのだろう。

午後から、雨の中、雨具を着込んでウオーキングに出かけた。総合公園から共済病院の横を通り郵便局前を通過し八幡山公園へ。ここには八幡山の洋館がある。

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八幡様でお参りをして、境内を通り市役所へ。そこから博物館の前を通って再び総合公園へ。所要時間1時間半。総合公園のバラが満開で雨に打たれ少し重みで下を向いていた。
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by yahhosaito | 2010-05-23 22:24 | 旅・サイクリング | Comments(0)

シュウマイを作る

2010年5月18日。

上海に行ったときに買ってきた小型の蒸篭でシュウマイを作った。
上海の郊外、朱家角で一目ぼれ?して買った3段式の蒸篭。
これにシュウマイかショウロンポウなんか作って蒸したら、さぞかし美味かろうと思わず買ってしまったものだ。

シュウマイはここ2年ほど前からマイレシピの定番になっていて月に1回は作る。
スーパーで美味そうなひき肉があるとついつい買ってしまう。
もっともひき肉はそれ自身はどれも似たようなものだけれども・・・

b0158170_7153592.gif私のレシピは
ひき肉300g、玉葱中1個、しいたけ中3枚。調味料として酒小さじ1、塩小さじ1弱、砂糖小さじ1、生姜の絞り汁一かけ分、ごま油小さじ2弱と言ったところ。それに、片栗粉大さじ2と胡椒を一振り。

よく、シュウマイの上に乗せるグリーンピースを買い忘れる。
忘れたときは色味に人参を乗せる。無ければとうもろこしの粒でもいい。
何にも無ければ葱でもいい。無くてもいいのだよ。

家で作ったシュウマイは何でこんなに美味いのだろう。
とにかくふわふわでジューシィでなんともいえない。
買ったシュウマイはぼそぼそして硬く美味しくない。横浜の某KY軒のシュウマイだってこんなには美味くないぞ。
(理由はたぶん蒸し方の問題と思う。蒸して冷えてまた蒸すと我が家のシュウマイも某KY軒の感じになる)

材料も安い。ひき肉は300円くらい。材料全部入れても500円はかからない。
それで30個は出来るから一個15円くらい。ビールやお酒のおつまみには最高。
蒸篭に入れて蒸篭のままで食べる。もちろん洋カラシとお醤油で。

我が家でみんながお父さんの作ったシュウマイは最高といって食べてくれる。
もしかしたら乗せられているのかもしれない。
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by yahhosaito | 2010-05-19 07:10 | 日々 | Comments(2)

バンドと豫園  -上海クルーズ5日目-

2010年5月6日。

昨日は寝たのが12時を少し回っていたか・・。
朝5時過ぎには目が覚めてしまい、外を見る。天気はよさそうだ。
かみさんはまだ寝ている。よく眠れるものだ。
そうだよ、君は悩みなんかは無いのだよね。きっと。
パピオは思う(悩む)ところ多くて、直ぐ起きてしまうよ。

上海は租界といって中国政府の統治が及ばない外国人居留地として栄えた。
1842年アヘン戦争に敗れた清国はイギリスに「租界」として上海を明け渡すことになる。
20世紀に入って上海事変で日本に占領されるなど実に紆余曲折があって、現在の上海を形成しているらしい。

そういえば、昔、父が「上海帰りのリル」という歌を良く唄っていた。
父は結構トッポかったからシャレたものをいろいろ持っていた。
戦前からレコードや蓄音機を持っていたらしい。ドイツ製のカメラもあって小さいころの写真もおかげさまでたくさん残っている。そうそうゾーリンゲンの剃刀なんて言うのもあったぞ。
レコードもクラシックの中にタンゴもあって好きだった。78回転のSPレコードが比較的最近まであった。
「上海帰りのリル」はタンゴのメロディだから、それで好きだったのかもしれない。


今や上海は猛烈な発展を遂げてご存知のとおりである。
人口1657万人で共に中国最大、世界最大級の都市の名をほしいままにしている。5月1日からは上海万博が始まったばかりだ。
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ページャンホテル           豫園の中心街



今日はまず豫園に行って、帰りにバンド界隈を散策しようと言うことになった。
船から豫園まではタクシー。15元くらいだった。
豫園は明の時代の庭園。「楽しい園」という意味らしい。面積は約2万m²ある。

ここで妻は絵手紙用の住所氏名入りの大型印鑑を発注。納期30分。職人技はすごい。
しめて200元。あわせて、絵手紙生徒さん用に雅印の朱肉を何個か手配する。
驚くほど安いが値切るとさらに安くなる。3割くらいはまけるがおそらく現地価格はさらにその半分くらいかもしれない。
(昨日訪れた「朱家角ツアー」は450元ほどだったが、個人でバスで行くと往復24元、昼食入れても50元~100元位で済むことが分かった。)

上海は万博のために突貫工事の大開発がされたと思うが、よく見ると古い建物が壊され、瓦礫や取り残された古い建物が外から見えないように綺麗な高い塀で囲われているところが時々ある。
繁栄の陰にいろいろなドラマがあり、建前があり本音があって、いろいろあって進化していく・・・。
過去の歴史や人々の積み重ねがブルドーザで壊され新しいものに生まれ変わる。
少しもったいない気もするし、それが歴史の進化だよと思えばそうかなあとも思う。
日本もそうしてきたのだよ。その結果が今の日本だけどね。

豫園からまたタクシーの乗り、南京西路へ。
妻が生地を買いたいという。
昨日も生地屋さん入ったのだが、どうも気になるらしい。
上海シルクといって絹の生地がたくさん売っている。
妻はさんざん吟味してワンピースやツーピース用の生地を5着分買った。
また、箪笥の肥やしにならねばいいが・・・。
b0158170_7505273.jpgしかし、さすがにシルクは素晴らしい。肌ざわりと下にストンと落ちる生地の重みの感触がなんともいえない。

昔、長男次男が泊ったと言うバックパッカー御用達ページャンホテルの横をとおり船まで戻る。
今日のショーはチェロ。
特等席で堪能。しびれた。


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リベルタンゴなどいい曲いっぱい

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by YAHHOSAITO | 2010-05-17 08:07 | 海外・クルーズ | Comments(0)

上海に到着。  -上海クルーズ4日目-

2010年5月5日。

朝起きると、外が明るく、カーテンを開けると船はゆっくり長江を遡っていた。
300mほど先が対岸で工場や民家が見える。
川は少し濁って土色をしている。
朝6時少し前だというのに大きな船小さな船がひっきりなしに往来している。

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だんだん周囲がにぎやかになり遠くに上海タワーが見え出した。
何か懐かしい気もする。
やがて接岸。
0700巨大な船体がバンド(外灘)の国際旅客埠頭に止まった。

今日はここに停泊。出発は明日の午後だから深夜に船に戻っても置いていかれる事はない。
なんとなく気分が楽だ。
さて、今日はどこに行こうか!と昨日相談し、「朱家角」にオプションを予約した。

朱家角は中国の水郷(ベニスだっかた?)とやらで、水路があちこちに走りなかなかよさそう。
上海からバスに乗り1時間ほどで到着。
途中の景色がまたなかなか良かった。
上海は大都会だが、車で15分も離れると急速に田園風景が広がり、中国らしい広大な農村風景が広がる。
日本の新潟あたりの風景に少し似ていると思った。

やがて到着。
なるほどこりゃ水郷かもね。
生活感もあちこちで感じられこういう風景は好きだ。
明清以来の古建築が運河沿いに並んでいる。その数1,000以上。
中でも有名なのが明の時代今から400年ほど前に造られた放生橋で、全長70mの石造五連アーチ橋は上海エリアでも最大のものだそうだ。

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川の両サイドは細い路地になっておりみやげ物をたくさん売っている。
ついつい、いろいろと買ってしまった。
お茶を入れる壷。朱肉。3段蒸篭。
おいおい、セイロなんて今から買ってどうするのだよ。
いいじゃないの!お父さんの作るシュウマイをこれに入れて食べたら最高よ。
そう言われればハイショーでゴザンス。
(トランクに入るかのぅ・・・)

小船に乗りゴンドラ気分。
川面から見る景色もなかなかのものです。
それにしても船頭さん操縦がうまいね。櫓ひとつでよくうまくコントロールできるものだと感心した。

来た道を戻り、昼食は上海のホテルの中。
立派なホテルだったが、これが結構いい値段。

料理は来るとき横浜中華街重慶飯店で食べた中華料理のほうが旨かった。
チンタオビールが30元だって。だって桂林では5元だったぞ。コーラが20元。コーラッ!高い!
結局飲むのを止めた。

午後からバンドに繰り出す。
一番にぎやかな通り南京西路をぶらつき、試しに5年前に泊った南京飯店を探す。
思いのほか良く地形を覚えていてすぐに見つかった。あの時と少しも変わっていない。
ホテルの前のコンビにもあの独特の匂いもそのままだった。

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夕方船に戻り、船から見る景色は夢のようだった。
特等席の遮るもののない素晴らしい眺めだ。
今回の上海旅行はこれがベストシ-ンだったかもしれない。

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by yahhosaito | 2010-05-16 07:47 | 海外・クルーズ | Comments(0)

終日航海2日目 -上海クルーズ3日目-

2010年5月4日。

今日も終日航海日。横浜を出て3日目で日向灘から屋久島の先を通り、現在は東シナ海に入った。
海の色は薄いグリーンに変わり天気も良いので水平線が見える。
あたりに船はいない。波も穏やかでその中を20ノット強で航行している。

気温は20度を超えていると思うが、船は時速40km程度のスピードなのでバルコニーに出ると
風が当り少し寒い。

相変わらず本を読んだり、ジムに行ったり、音楽を聴いたり・・・
そうこうしているうちにすぐ食事の時間になってまたレストランに行くことになる。
大体食事に毎回1時間から2時間かかるから一日4時間くらいは食事していることになる。
船旅の楽しみは食事にあるといってもいいかも知れない。b0158170_12162550.jpg

朝、昼はバイキング形式の食事が多い。
自由席で好きなものをとってきて食べる。
今回はコースが東南アジア系なのでメニューも幾分アジア系が多いような気がする。
なかなか美味しかった。

夜はバイキングもあるが今回はすべて正式なディナーコースとした。
前菜、スープから始まってメイン、デザート、コーヒーまでゆっくり食べる。
今回の食事のパートナーは長野市から参加されたT氏ご夫婦だった。

ご夫妻とはクルーズ最後までいろいろとお世話になることとなった。

写真は撮らないという。

折角いろいろとお知り合いになったし、そろそろ理由を言ってもいいかと思って・・・
一瞬、間をおいて、そう切りだした。

また、微妙な間があって、実は私たち夫婦ではないのです。
えっ!
食道を通過中の肉片が途中で落下をやめた。

そういえば奥さんはずいぶん若いような気もするし、スタイルもいいし綺麗だし・・・
「そういうのも世の中にはありか!!」と脳が瞬時に反応した。

実は、すべてが演技(冗談)ということが直ぐに分った。
そのあと、本当のことを教えてくれたから。

想定外だが納得した。

そんなこともあって、直ぐに打ち解け、クルーズ中、いろいろのことをお話した。
年が同じこと、子供もT氏は3人、我が家は4人と大勢なこと、子供の結婚や孫のこと、
地域活動や家庭菜園のこと・・・

T氏はご夫婦でダンスを5年ほど前からはじめ今も週2回ダンス三昧をしていること、
時々仕事に行くこと、
そして、絵を習い始めたこと・・・

クルーズは今までに地中海、エーゲ海、カリブ海、カナリヤ諸島、東南アジア、メキシコなどなど
10回以上、普通の海外旅行もこのほかよく行かれるようなので
全くうらやましい限り。
フツーのおじさん(自分)は、さては軍資金は無尽蔵なのか・・・とますます羨ましくなる。

そんなこんなで今宵も更け、楽しい夜のショーが始まった。
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by YAHHOSAITO | 2010-05-12 22:10 | 海外・クルーズ | Comments(0)

ゆうゆう会はじまる

2010年5月11日。

昨日、横浜から大急ぎで自宅に戻り、明日から始まるゆうゆう会の搬入を行った。
そして今日は初日。午後から展覧会場の受けとけ当番となった。

ゆうゆう会は今回で17回目。
湘南藤沢の朝日カルチャーに集う日曜油絵のメンバーの年一度の展覧会だ。
全部で50点くらいの教室で描いた絵を展示する。

最近絵はおサボり気味でいい絵がないが4点出せと言うので仕方なく3点にまけてもらった。

左の絵は昨年の7月ごろの絵。綺麗なモデルさんだった。
真ん中はピエロ。服が難しかった。
右はバラだがこれまた難しい。しかし、3枚の中ではこれが一番良いか!!b0158170_2021541.jpg


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by yahhosaito | 2010-05-11 20:08 | 日曜油絵 | Comments(0)

終日航海日 -上海クルーズ2日目-

2010年5月3日。

今日明日と終日航海日。
船の上で2日も過ごすのはばかばかしく貴重な海外旅行中にもったいないと言う感じもするが、これがまたのんびり落ち着いていい。

年のせいかもしれないが、いろいろ経験してくると、「幸せって何だろう!?」と思う。
美味しいものを食べているとき? いい景色も見ているとき? 仕事が完成したとき? 楽しい会話をしているとき? お風呂に入っているとき? そして何にもしていないとき?・・・

今まで、美味しいものも何回も食べ、いい景色も実物やバーチャル画像で繰り返し見て、仲間と楽しい会話やお酒や歌を唄い、家族にも恵まれてきた。
仕事や家庭で苦しいときも、それは少しはあったけれども、今となっては楽しい思い出ばかり。
そうした中、考えると、残りの人生、せかせか旅をするのも良いし、海の上でのんびり電話もメールもない世界に浸れるのも幸せの形かもしれないし・・・。

いや、海の上でなくったっていいのだよ。
まあ、しかし、今回は海の上だけど。つまり、感じ方の問題だね。

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スリーカップスオブティー
今回、終日航海日に読もうと思い持参した本。家で探していると見つかった。娘が買った本らしい。
K2を登った登山家が遭難しカラコルムの麓の小さな村で村人から手厚い保護を受ける。
感激したアメリカ人登山家は帰国後貧しい山村に小学校を建てる計画をする。
911が起こったとき、アメリカは爆弾でテロで対抗したが彼は教育で(根本的に)テロを止めさせるように対抗した・・・。

感動の物語(実話)だが、舞台がカラコルムのギルギットやフンザといったかつて次男がバックパッカーとしてさんざん歩き回って聞いていた地名がたくさん出てくるので、余計に思い入れが強くて内容にのめりこんでしまった。
結局、5百数十ページある本を航海中に読み終えてしまった。

なにも海の上でなくてもどこでも読める本だが、こうしたことがもしかしたら「幸せ」の形の一つかも知れないと思いながら・・・

本を読みながらも、何せ時間だけはあるのでその間トレーニングジム、サウナ、セミナにも行ってしまった。
相変わらず朝昼晩の食事は食べ放題。食べた分、ジムで汗を流す。

夕食の後のショーは少し年の行った歌手だったが、素晴らしい歌声に聞きほれた。
この種のショーの定番の「マイウエー」は中でも素晴らしかった。
みんな少しずつ歌詞の内容に自分の人生を重ね合わせて酔っている・・・

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そういえば、本の中にこういうのがあった。

「あなた方の村のために何かすることはありませんか?」
「教わることは何もありません。あなた方が持っているものも大して羨ましくはありません。どこをとっても、私たちのほうが幸せそうだと思います。ただ、学校だけはほしい。子供たちを学校に通わせたいのです。」

      -エドマンド・ヒラリー卿とウルキエン・シェルパの対話「雲の中の学校」より-
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by yahhosaito | 2010-05-11 09:24 | 海外・クルーズ | Comments(0)