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 湘南の田舎から日々雑感
by yahhosaito
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地元の忘年会

2011年11月27日。

昨日、地域のつまり町内会の忘年会があった。
わが町内は140所帯ほどでこじっまりしているが、昔からの人が多く、結びつきが強い。

その町内会で例年と違う忘年会を行った。
従来は一般の居酒屋等で行っていたが、今年は町内にある集会所で開催。
これは安く・近くという事で、気軽に参加しやすいようにということに加え、地域力をアップするためとして、町内の地場産農家などの協力を得た手作り忘年会にこだわった。

ただ、飲んで語るだけでなく、ビンゴゲームやコーラスを入れて、全員で会を盛り上げた。
特に、ビンゴゲームでは、今里の地域の特性を生かして、農産物を町内の農家から提供して頂き、賞品にした。

提供して頂いた農家は15所帯にのぼり、お米、大根、キュウリ、ミカンなど、さまざまで、地域特産のさつま芋やバラなど、それに平塚沖で取れた湘南しらすなどもあった。

事前に、提供を依頼し、当日、町内の災害用リアカーのデモンストレーションを兼ねて、各農家に農産物の回収に行った。
回収された農産物は全部で80個(袋)以上となり、2回のビンゴゲームの賞品にしても余るほどの量だった。

町内の多くの人たちが、協力し合って、企画し、会場を作り、本番で盛り上げて、成功裏に開催することができた。


今年は3.11の大震災や大型台風で多くの地域が被災し、地域の一体感や災害時の協力体制など、家族や地域のつながり・絆の大切さを例年以上に実感し、かつ必要とされた年でもあった。
そのためには、一人でも多くの方がいろいろな活動や行事に関心を持ち、参加して頂くことが地域力を押し上げる源泉ではないかと思う。
そのような意味でも、今回の忘年会は地域一体となって地域力がさらに強化されたイベントになった。

今回の忘年会で新たに地域活動に参加して頂いたお宅も多く、地域が力を合わせれば、新たな発想やアイデアが生まれる可能性が多いという事を実感した忘年会でもあった。

来年もこのスタイルで行くのだと思う。
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by yahhosaito | 2011-11-27 04:40 | 地域 | Comments(0)

晩秋3題

2011年11月24日。

11月も末になると辺りは急に冬の装いになって冬支度をしなくてはと思ったりする。
日中はお日様さえ出ていれば20度近くまで気温が上がってかなり暖かいのだが、さすがに朝晩は10度を割って急に冷え込んでくる。

うっかりすると霜にやられるので早めに植木を部屋に取り込んだ。
今までテレビがあった所はテレビを移動式にして使わない時には部屋の隅にひっこめた。
わずかな庭がこれで抜群に良く見えるようになり、視界が開けてスッキリした。

42インチのテレビは大きくていいのだが、特等席の視界をばっちりと遮り、ある意味でお邪魔虫でもあった。
そこで、使うときだけ引っ張り出し、使わないと時は隅にひっこめる。
なんでもっと早く気が付かなかったんだろう。
実に快適で、そもそもテレビを見る時間も半分に減った。

ちょっとした内容はパソコンで見ることにした。
テレビチューナーを外付けで取り付けちょっと見るときはパソコンでテレビを見る。
もっともこれもあまり見ないけど…

そのテレビがあった所に観葉植物や鉢植えを置くことにした。
視界が少し遮られるがそもそも背が低いのでまあ良しとしよう。
階段の下にも置くことにした。イマイチだが置くとこが無いので仕方ない。

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自転車で相模川方面に出かけた。
川岸で人だかり。
三脚を立てて野鳥観察らしい。

川の反対側に白くサギらしい鳥が沢山見える。
しかし、彼らはこんなありふれっ鳥は見向きもしない。良く見ると三脚は立てているが人間は明後日の方を見ている。
何か別に珍しい鳥がいるに違いない。
なんだろう。
カワセミ?いやいやあの人だかりはヤマセミか?チゴモズ!はたまた、珍しカモの仲間。
野鳥を見る人は結構げんきんで見慣れた鳥はほとんど興味を示さず、珍しい鳥には異常に興味を示す。
当たり前か。

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自分は野鳥は好きだが、あんまりのめり込んでないので、どれもそれなりにいいと思うのだが・・・

夕方、あまり天気がいいので山の方へ。
畑や田んぼが広がり遠くの山々が素晴らしい。

ちょうど日没で、いい夕焼けが見られると思ったが、あまりの快晴で雲が無く雲が茜色に染まるアトランタの夕焼け状態にはならなかった。
山がシルエットになって美しく、富士山の左に矢倉岳、更に左に金時山。続いて、明神、明星と続いて、神山、箱根駒ケ岳、双子山。
更に伊豆半島に繋がって天城山、万二郎、万三郎と続いている。

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そのほとんどに登ったなあ・・
思いでは駆け巡る。
年を取ったなあ・・・、いや、まだまだ・・・。トホホホホ・・・
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by yahhosaito | 2011-11-24 20:38 | Comments(2)

長男の家

2011年11月20日。

12月に結婚する長男のところに打ち合わせ等で出かけた。
長男は勤めは茅ケ崎だがどういうわけか逗子がいいと逗子に住んでいる。

そもそも実家から茅ケ崎まで出勤すれば30分のかからないのにわざわざ1時間近くもかけて逗子からから通うなんて理解に苦しむが、なんとなく時々逗子に行ってみると理由が分かる様な気もする。

私の地元も景色と言い土地柄と言い素晴らしいと思っているが、それは住めば都という事で、住んでいる当の本人はそこが一番いいのだろうと思う。しかし、色々なところに、例えば、今回のように逗子に行ってみると、そこはそこで素晴らしく、やっぱり逗子は違うなあという事になる。

海辺の道路(R134)から見る相模湾とその向こうにある江の島・富士山はまるで絵に描いたよう。朝日や夕焼けの時、それに雲や光の具合によってはさらに素晴らしい光景が広がるのだろうと思う。

多くの文人や有名人が逗子を愛したという事が分かるような気がする。
もっとも、逗子に限らず、葉山や鎌倉、藤沢など湘南地方と言われるこの辺は何処に住んでも海と山と川が見事にマッチし、中々の景観を作っていると思う。

b0158170_6183031.jpgb0158170_6184720.jpg

もっと言えば、湘南地方に限らず、前に訪問した東北の松島地区や津軽地方だってそれはそれは素晴らしい。
津軽の人が岩木山を眺める幸せを噛みしめているように、湘南地方に住む人も富士山を眺める幸せを感じているわけで、つまり住めば都という事か。

長男の新居は、と言っても、築20年?のアパートだが、海岸から1㎞足らずの、しかも、駅から500m足らずの一等地であり、周りには古くからの家や最近建て直したお宅が多い。
たまたま、すぐ近くに姉夫婦が住んでおり、いざというときには心強い。

3.11の津波が生々しく、海に近いという事はそのリスクもあるわけだが、いざというときはこの辺は近くに小高い山が多くそこに逃げ込んでくれ。早目にだぞ。
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by yahhosaito | 2011-11-23 06:22 | 日々 | Comments(0)

紅葉ツアー

2011年11月14日。

紅葉前線が山を下りてすでに2週間。満を持して紅葉ツアーを洒落た。
行先は奥多摩。いつのもN氏と一緒のサイクリング。

実は奥多摩までは結構遠い。輪行だが、登戸までいって、そこから南武線に乗る。八王子で青梅線に乗り換え青梅。さらに奥多摩線に乗り終点の奥多摩駅まで。所要時間は2時間強。
青梅で奥多摩線に乗り換えるとき、目の前で予定していた電車が発車してしまった。想定外。

幸い30分ほどで次の電車があったので、しばしのローカルな駅での朝のひと時となった。
天気は予想より雲が多く、心配したがやがて日も差してきたまあまあの日和ではあった。

この辺まで来ると東京でもかなり山奥の感じがして、ある意味でほっとする。
都市部から1時間もするとこういうローカルなエリアに到着するのだから、日本は狭いが逆に言うとちょっと視点を変えれば安価な居住地域は幾らでも提供できるという事か。

山は木々で溢れ、谷川のせせらぎが聞こえ、白い雲が流れる。
古い民家と中途半端な都会の風情の建物、ある一部を切り取れば都会と大して変りなく、ある一部をトリミングすれば旅愁を誘う牧歌的な山村風景ではある。
何か、日本全国、どこにいってもそんな風景となって少し残念な気もする。

終点奥多摩駅で降り、自転車を組み立てる。
組み立てには大して時間はかからない。周囲には山に行く人がかなり多く、山ガールと言われる若目の女性もちらほら。アラフォー世代とも思えるが・・・

町はずれの国道から早速紅葉の風景が表れ始めた。
橋から見下ろす渓谷は紅葉の真っ最中だった。遅くもなく早くもなく今が盛りというところか。
道はやや上り坂程度で、今回持参したロードバイクはあっという間に20数キロの時速が出ていた。
車もそこそこで左程の危険は感じない。6㎞で奥多摩湖、つまり、小河内ダムに到着。

b0158170_6191161.jpg小河内ダムが完成したのは昭和32年だという。たしか、その時期、切手の収集がブームで、小河内ダム完成の記念切手が発売されたの思い出す。薄い紫の横長の切手だと記憶しているが違っているかも・・・。

小河内ダムは竣工当時、水道専用貯水池としては世界最大規模の貯水池であったという。
ダム建設予定地の旧小河内村の用地買収の難航したのと、神奈川県との水利権を巡る水利紛争、戦争激化による建設工事の中断等により、着工から19年かかったともいう。

つまり、今から70年以上も前の話だ。計画し完成させた当時の人たちはどういう思いで工事をしたのだろうと思うと、そのエネルギーと努力に脱帽する。
今は立派な道路が走り、150mの巨大なダムが存在するが、70年前はまるで山の中のただ多摩川の細い源流が流れていた谷川に過ぎない。
ここにダムを作ろうとした人たち。
いまは、ダム建設は八ン場ダムのように反対も多いが、当時は今とはもっと別の使命感、国家事業として作ったのだと思う。
そのダムが、今は1200万人の東京都民の水ガメとして潤している。

この辺から紅葉はさらに進んで、錦秋の色合いが益々濃い。
一路、上野原をめざし進んだが、目の前に鶴峠の880mが立ちはだかり、引き返しを決断。
急坂は斜度10~14%もあり、時間も14時を回り、15時くらいからの雨予想等々、懸念材料も多かった。無理は禁物。年も年。自転車は生身をさらしての走行なので、落車したら大けがする。

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帰りは道路事情も分かっているので気軽にしかも下り坂で快調に飛ばし、あっという間に奥多摩駅まで戻った。
しかし、自転車も分解して鉄も塊になると結構重い。
赤ちゃん(幼児)は10kgくらいでも背負ってなんともないが、自転車の10㎏は結構堪える。
持ち方背負い方のバランス(重心)の問題なのだろうか。

そんなこんなで奥多摩線、青梅線、八高線、相模線、小田急線と乗り継いで自宅に戻る。
最寄駅までは車で来て、駅前の駐車場に入れたが24時間でも800円。
これは便利。安心して停められて、駅前というのはとても便利。
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by yahhosaito | 2011-11-16 06:21 | 日々 | Comments(0)

寒くなった日々

2011年11月10日。

一気に寒くなったこのところ・・・
といってもまだストーブを点ける寒さではないのだが、夕方になると点けてしまう日が多くなった。

酒の肴を作りストーブの前でちびちび始める。
先日、体調から年間360日から290日に減らすべく計画立てた。
MJ協のある日月1回、カンツオーネの練習日月2回、後、毎週水曜日、これを休肝日とすると、290日になる。

しかし、ストーブをつけると火が安定状態になってくると恋しくなって手が伸びる。
といっても、軽く1合か缶ビール1個なのだが・・・

朝起きるとストーブのセットが日課となった。
昨日の燃えた灰をきれいに取り除き、外にでて薪棚から板状の廃材をナタで細く割る。
それをストーブに燃えやすいように組み上げ下に点火剤をおいて完成。
その際に、煤で汚れたストーブ前面のドアーをきれいにする。
その間の所要タイム10分ほど。

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キッチンペーパー1枚に軽く水を付け、軽く拭くと大概は綺麗になる。
あとは、夕方を待つだけ。

しかし、このところの薪の減り方が激しい。
計画では5カ月は持つと思っていたが、結構気軽に薪を使うのでたぶん今シーズンもたないだろう。
地元で台風で折れた桜の木や剪定した柿の木梨の木などあげると言ってくれるのだが、なにせ置く場所がなくて困っているのが実情。

薪小屋か保管場所を確保するのが今後の課題。

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by yahhosaito | 2011-11-11 08:10 | 日々 | Comments(0)

防災訓練

2011年11月8日。

この前の日曜日に地区の防災訓練があった。
この地区は更に11の単位地区に分かれ約3000所帯、10,000人が生活している。

10,000人と言えばちょっとした大きさだ。
原発で大被害をこうむった飯館村は確か6000人程、アラスカの漁業の町ケチカンも6000人位だったと思う。
我が地域もそのくらいの大きさだ。
それぞれに地区に自治会長がおり、全体を束ねているのが連合自治会。

今回の防災訓練は連合自治会の主催で11単位自治会が参加した。
人数は全部で2000人近くいたから、20%ほどの参加率か。b0158170_7312689.jpg

まずは避難訓練から。近くのちびっ子広場に集まり、広域避難場所になっている小学校へ。
歩いて、5分ほどのところにある。

今回は、津波を想定して、学校の屋上にあがれることになった。
普段は生徒も上がることはできない。屋上のフェンスは先の台風15号で壊れたまま。20mほどに亘って大きく斜めに傾いている。
各地区ごとにぞろぞろと階段を行ったり来たり。

ここから見る眺めは、いつもの風景とは違った。なかなかいい眺め。

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しかし、屋上に上がってはみたが、いざ津波で屋上避難となったら何人が上がれるのだろう。立錐の余地なくあがったとしても、500人がいいところだろう。
しかし、万一は3000人位ここに集中するかもしれない。2階や3階の教室に入ったとしても、3000人が3日ここで生活するのは多分難しい。

今回の、宮城ではそんな想定外の避難状況を迫られた。
避難訓練はしたが、実際起こったら、問題だらけになると思う。
その時、誰がきちんとしたリーダシップを取れるのか。かなり難しい問題だ。

今回の訓練は、かなり問題があったように思うが、きちんと時間をかけて議論し、出来ること出来ないこと、どこまでするかなど、煮詰めて、整理しておく必要があると思う。
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by yahhosaito | 2011-11-08 07:35 | 地域 | Comments(0)

大学病院の公開講座

2011年11月5日。

東海大学病院で耳鼻科の治療にかかっているが、待っている間に市民向けの治験講座を開催していることが分かった。
「福島原発事故の収束見通しと放射線の影響」、「放射線―環境からの影響と医療への利用」という内容。
おもしろそうなので妻と一緒に出かけてみた。

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定員200名だったがほぼ8割の入り。若い人は少なく、我々かそれ以上の世代が目立つ。
向学心なのか、時間があるのか、テーマに興味があるのかは不明。
講師は同大学の高木直行工学部原子力工学科教授と国枝悦夫医学部専門診療学系放射線治療科学教授。原子力工学と放射線医療の観点から放射線の影響や性質について解説するという。

内容はなかなかおもしろいもので2時間強の講座はあっという間に終わった。
基本的には原発推進する側の人の講義だったので、結論は細心の注意をして原発を維持していかないと社会や生活は成り立っていかない。だから、リスクを最小限に抑え、あらゆる不測の事態に対応していくことが重要。というものだったが、どう備えていくか、どこまでリスクに対して保険を掛けるか、費用対効果の関係でどこまでできるかが課題だろう。

原発反対側の講座も聞いてみたいものだ。
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by yahhosaito | 2011-11-06 06:39 | 日々 | Comments(0)

久里浜の太刀魚釣り

2011年11月3日。

父が亡くなって今日で丁度7年目。本当に早い。ついこの間と思っていたがもう7年か。
不思議な巡り合わせで、父は生まれも亡くなったのも11月3日。そして、妻の父(義父)も亡くなった11月3日。

友人から釣りの誘いを受けた。年に1回くらいこの時期、誘われる。
今回は久里浜の太刀魚と鯵を狙う。
命日に釣りも変かとも思ったが、なにせ父は釣りが大好きで何かといえば釣りに出かけていたので、逆に息子がその日に釣りに行くのも供養になるかと思って出かけた。

朝、3時に起きて4時に友人宅集合。高速を使って久里浜の船宿に着いたのが5時を少し回っていた。
出船が7時だというのにまだ2時間近くもある。早く来たのは船の場所取りの関係だという。
右舷とか左舷とかミヨシとか釣り人はいろいろこだわりがあるらしい。

早くに席を取って、竿やリールの操作の手ほどきを受ける。仕掛けはこれこれこうだという話も。
そうこうしているうちに早くも7時となり出船となった。
天候は高曇り。暑からず寒からず。波は穏やか。こういう日は意外と釣れるのだとか…

観音崎の灯台をかわし猿島の方へ向かう。近くに第一海保とかいうのもある。人口の島の様でクレーンがあっちこっちに建っている。船への荷物の上げ下ろしの基地だと思う。

期待を膨らませ、針を下す。70m~80mほど下が海底となる。これほど深いところだと手で巻いていては手間と負担がかかるので、電動リール。
スイッチを入れるとローマ、もとい、ウイーンと軽快な音を立てて巻はじめ、15秒?ほどで巻き上がる。
所がなかなか手ごたえがない。巻いたり下したりが何回となく続く。
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どうも今日は不作らしい。たまに、15分に一回くらい同船や周囲の船で太刀魚が掛かる。

1時間ほどしたとき、自分の竿にアタリが。緊張してある時は早くある時はゆっくり電動リールの回転数を調整する。

海面1,2mのところで太刀魚が見える。してやったり。船に引き上げるとまあまあの大きさ。
それよりも姿の綺麗なことは感動もの。
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特に、色が太刀のごとく、磨き抜かれたステンレスの鋼のごとく、クロームメッキの鏡のごとくに輝いている。

ポリバケツに入れて泳いでいる姿は、透明の背びれがゆらゆらと揺らめき、この世のものとは思えないほど。
友人は3枚におろして間にチーズを大お葉を挟んでフライにすると美味しいという。
家族4人分はこの一匹で取れそうだ。

2匹目を狙って挑戦するがその後はサッパリ。
7時からあっという間に4時間が過ぎ、午後は3時半まで鯵。
これがまたサッパリ。結局、鯵1匹、小さい赤い魚が一匹と情けない釣果となってしまった。
周りの釣り人も似たり寄ったり。友人は大きな鯵が5匹。

帰りに、三浦の鮮魚水産店による。
せっかく三崎に来たのでマグロの刺身とついでにサバ、キス、タラコ、イカを購入。釣り帰りに魚屋で買うのもいかがなものかと思ったが、いい買い物ができた。夕食時に釣ってきた鯵のタタキに買ってきたマグロの中トロ。
お酒と共に美味しくいただきました。

ところで、東京湾は船が多い。大きいコンテナ船もタンカーも、そして遊漁船、モーターボート。
何年か前にイージス艦あたごと釣り船が衝突した事故があったが、あの様子を見ていると素人目には大型船と漁船がまたいつ衝突しても不思議はないような気がした。その位、船の数が多い。
専門的にはいろいろと回避の工夫がされていると思いたいが、ちょっと心配だ。
少なくとも大型船がくねくねと舵を切れるはずがない。
航行権をどのように行使し、現場ではどのような判断で対処しているのだろう。

何年か前に雑誌「舵」に載っていたエッセイ?の中に面白い記事があったのを覚えている。

『米、原子力空母カールビンソンが訓練で東京湾入った時のことだ。狭い航路では船舶は右側通行を決められている。湾内のはるか向こうにクルーザーヨットが確認された。この場合、航路の優先権はヨット側にあった。このまま進めば空母はヨットにぶつかることになる。空母が迂回措置を取らなくてはいけない。しかし、訓練の内容から迂回はしにくい状況にあった。
空母はヨットに向けてサーチライトでモールス信号を送った。幸いヨットのクルーはモールスで平文を解する知識があった。

「カールビンソン:貴艦に航路優先権があることは重重承知しているが、当艦は訓練中で進路変更が難しい。もし、可能ならば当艦に進路を譲ってもらえないだろうか?
「ヨット:了解。当船は左舷にタックする。」ヨットは大きく舵を切って航路を空母に譲った。』

まあ、どこまで本当の話か分からないが、東京湾のあの交通量を見るとそれに近い判断があるのかもしれない。
現実にはあれから事故は起こっていないので、多分、上手くなっているのだろう・・・
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by yahhosaito | 2011-11-04 13:28 | 日々 | Comments(0)

ジョブスの伝記

今ジョブズの伝記を読んでいる。
先の広島行の時に買って新幹線の中で読むかと思っていたが、100ページ位しか読めなかった。
家に帰って読んでいるが、その中にこんなのがあった。

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ジョブズたちがアップルを作る時、市場調査をした。1977~80年のころだと思う。
パソコンがどのくらい売れるものなのかと。
その中に、「これからはパソコンはマニア以外にまで市場を広げないとだめだ。ふつうの家のふつうの人に使ってもらう。レシピを記録したり、家計簿をつけたりそういう人に使ってもらうためのPC。」

実は今から20数年前、すなわち、1980年の中ごろ、わが友、天才、山ちゃんはおんなじことを話していた。
私:パソコン?家で何につかうの?
山ちゃん:家で家計簿をつけたり、日記を書いたり、記録を書いたり・・・
私:家計簿なんて大した量じゃないから家計簿のノートに記録すればいいじゃん!
山ちゃん:いや、これからはこういのもコンピュータを使うことになる。

当時、私は大型コンピュータのシステム設計を担当していた。
コンピュータの黎明期に近い時代を知っているので、コンピュータの猛烈な進化を目の当たりにしていた。
会社で使うコンピュータは1台数億した。
それで、生産管理をやり給与計算をやり在庫管理をやり資材管理をやった。
その設計をまさしく自分たちがやってきた。
だから、家計簿や日記にコンピュータを使うというのが馴染めなかった。もっと、難しいことに使ってもらわないと・・・

当時、パソコンという語感があまり好きでなく、自分ではパーソナルコンピュータと言っていた。オフィスコンピュータ、中型コンピュータ、スーパーコンピュータ・・・
パソコンはいかにも呼び名としては軽い感じがした。

システムを設計しCOBOLやASSEMBLERでプログラムを作った世代に、家庭の収支管理、家計簿なんかは十分に手でやれる範囲と思っていた。
だから、家庭でパソコンはニーズがないと本当に思っていた。
しかし山ちゃんとジョブズは思っていたことが同じだ。それからはパソコンが家庭に入ってくる。

はたして、あれから10年足らずでオフィスにでデスクトップPCが普及し、あっという間に広がった。
初めは数人に一台だった。われわれは職掌がら早くに個人にパソコンが配られ、使い始めたのは1995年だったと思う。当時、1台100万くらいした。
それから数年以内に、ほとんどの人は会社でパソコン前提の仕事をするようになった。
当時、会社の業績は順風満帆で大型のコンピュータがじゃんじゃん売れた。
社長賞の技術部門、経営部門、資材部門を独占した。
しかし、思えば、その後、少しずつCPU基本設計で流れが変わってきて、やがて陰り始める。
この間の経緯は、マック開発の流れとある意味符合する。

PCは30万を切ったころから家庭に普及し始めた。それが、20万台になり、今や10万を切る。
性能も20年前の100倍以上だろう。もしかしたら1000倍を超えるかもしれない。

山ちゃんが言っていたことが現実のものとなった。
わが家の初めての導入は、クロック30MHZ位の一体型パソコンで1997年ごろだったと思う。
以来、我が家のパソコンは6~7台目になる。

山ちゃんが亡くなって今年で20年ほどになると思う。彼が生きていたら今のパソコン時代をどう思うだろうか。
そして、ジョブズの早すぎる死をどう思うのだろうか?
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by yahhosaito | 2011-11-02 06:47 | 日々 | Comments(0)

11月

2011年11月1日。

昨日今日と素晴らしい天気で、今日も空には雲一つない。
気温も22、23度で暑くもなく寒くもなく、空気もすがすがしく、遠くに富士山、近くに丹沢山塊、家の前の公園の桜の葉が幾分色づいてまさしく秋本番。

近くの田んぼの稲は殆ど刈取りも終わり、冬支度へと入っていく。
菊が咲き、コスモスが咲いている。

家の庭のセンリョウの実が急に色づいてきて、なんとなく庭を華やかにしている。
ホトトギスが綺麗に咲いている。
先日、妻と、このホトトギスの名前がなかなか思い出せず、あれ、これ、それ、などそこまで出ているのだが、肝心の固有名詞が出てこず難儀した。

お互いに言いたいことは分かっているから意志は12分に通じているのだが、思っていることが口にでずに、イライラしている。最近はどうしても気になると最後の手段で、パソコンあいまい検索すると出てくるから、便利と言えば便利。
ホトトギスなら「秋」「山野草」「茶花」とでも入れてやればまず大概出てくる。

忘れているけど言ってくれればすぐに分かるわけだからネットで名前が羅列されればすぐにそれだと分かる。
それにしても最近の度忘れはひどい。
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昨日はたまたま妹の家に行ったら姉がもう間もなく来るはずという。
5分後にチャイムが鳴って、合流。
変なところで兄弟3人が会って、妻を含め4人で、昔話。

最近のことは思い出せないが昔のことはまあよく覚えている。
年は取りたくない。出来ればコロッと逝きたいなど…

最近とみにパソコンの入力ミスが目立つ。
1行打つと大概どこか間違いがあって情けなくなる。

朝5時過ぎには起きる。
妻が起きてくるまで3時間ほどある。
この時間はだれにも邪魔されない時間。
新聞を読み、パソコンを操作し、パンとコーヒーで朝食をして、懸案事項を片付ける。
結構充実した時間。

妻は22時からがだれにも邪魔されない時間だという。あっ、そう。
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by yahhosaito | 2011-11-01 08:12 | 日々 | Comments(0)