2009年5月5日。
ゴールデンウイーク、妻籠に行く事にした。
昨年は馬籠に行って、妻籠も少しだけ寄ったが、なかなか良かったので今年また行く事に。
高速が何処まで行っても1000円になったのも、行ってみようという大きなきっかけでもある。高速に入る時か出る時に土日休日に少しでも掛かっていれば1000円の割引対象になる。
よって、4/30の緑の日の23:30ごろ相模湖ICを入る。
真夜中走るのはさすがにきついから、その日は甲府の先、双葉SAで1:00ごろ仮眠。
愛車VW-BORAは後部座席がフルフラットになり、トランクルームと一体になるから、なんと足を伸ばして2人が寝られる。
敷布団と掛け布団を持参し、かみさんと『車中泊』した。我が家で寝るのとほとんど変わらない。最高に快適だった。
子供達に車中泊のことを話したら、「よくやるねえ」と冷ややかな反応と「楽しそう!」という反応が5分5分だった。タシカニ!
妻が、奈良井宿にも行きたいというので伊那ICで降りて奈良井宿へ。
ここも、妻籠・馬籠と同じように古い宿場町が保存されている。なかなかの景色。
人通りは少なく天気も最高でゆったりとした散策だった。昨日は休日だったのでかなり混雑したとの事。
昼食におそばを食べ、買い物をして再び19号線へ。
妻籠までは1時間くらいか。
妻籠の宿は「藤乙」さん。昨年は馬籠で「但馬や」さんという民宿だったが、今年は旅館。
なかなかこじんまりした落ち着いたいい旅館だった。
木曽駒ヶ岳はまだたくさんの残雪が
昨年同様に外人さんが多く、3組ほど。昨年は囲炉裏があったのでここでコミュニケーションが取れたが、今年は残念に話す機会がなかった。
宿の主人は外国(フランス?)の長く行っていたとの事で、語学に堪能。50くらいの方だったが、彼に質問してみた。
「中仙道には67、木曽路には20?くらいの宿場があったのに、なぜ、奈良井、妻籠、馬籠の3っがこのような形で保存されて残っているのか!?」
「明治の中ごろに鉄道(中央線)が敷かれ、中仙道の宿場町からずっと遠いところに駅が出来、そこを中心として栄えた。旧宿場町はあっという間に時代に取り残され、急速にさびれた。多くの宿場町は近代化とともに建て直しが始まり、多くの旧宿場町で旅籠でない現代風の家屋が次々と建った。
しかし、妻籠などは貧乏だったので、新しく家を建てる財力がなかった。それでそのままの姿が残った。昭和40年になって、国鉄のDISCOVER JAPANが始まり、町並み作りが始まって、今の姿が出来た……」
なるほどそういうことか…。
なんだか複雑な思いを深くした。
食事はとても美味しかった。たらの芽の天ぷら、蜂の子、フキノトウなどなど10種類以上の料理が出てお腹いっぱい。
今回の旅は時間があったため、一箇所をじっくりと見ることが出来た。解説も案内の人の話もとてもよく聞く事が出来た。
すっかり気持が200年前の戻り、何かを共有できたような感じだった。
旅籠のちょうちんや暖簾を見ていると江戸時代の旅人も同じ風景を見たのだろうなという気になって妙に感情移入してしまった。
木曽路は新緑真っ盛り。むせ返るような淡い緑に澄んだ青空。
1泊〔延べ〕4日の旅。ゆっくりのんびりした旅だった。
帰りの東名も1000円。
上りは空いていて厚木ICまで極めて順調だった。