2012年7月16日
昨日は朝日カルチャーの日だった。
朝日カルチャーも思えばずいぶん長い。15年?いや20年に近いかもしれない。
初めは新宿に通い、今の藤沢も10数年。
長い割にはあまり進歩はなく、いつも定番の絵から脱することが出来ない。
今日はNudeの日だった。やはりどうせ描くならリンゴやスイカで無く人物を描きたい。
静物は家でも描こうとすれば出来るが、人物はモデルさんがいないと始まらない。
家の家族は10分もじっとしていると静止に耐えきれなくなってもじもじしだしてやっぱり無理だという事になり、モデルは務まらない。
Nudeは何回-描いただろう。年に2回ほどのNudeがあるから15年とすれば30回。1回が3~4回(日)の日数で仕上げるから、100日ほどの日数になるかもしれない。
初めての時は結構意識して緊張もした。しかし、今では(あまり)どうってことはない。
前に読んだ有名な画家の文章にこんなのがあって、妙に納得したものだ。
若いとき美術学校で上の教室でNudeのデッサンをやっているのをどこからか聴き及び、上の教室のドアの音、始まりの合図の音、机のきしむ音などがすべてNudeの一点に集中され、気になって気になって仕方がない。いま、服を脱いでいるんだろうな、いま、ポーズを取っているんだろうな・・・と、あらぬ妄想にとても自分の授業どころではなかったというようなことが書いてあった。
確かに。
しかし、現実は妄想する暇は全くなく、2、3秒モデルを見ては描き、またみては描くの繰り返し。じっと見ていることはまず有りえない。
それにしても、やはり人体は素晴らしいと思う。
バランスのとれた手足、目の位置、鼻の位置、首の位置、胸、腰、足の存在感。指や手の曲がり具合と筋肉や骨の出っ張り具合とへっこみ具合。まあこんなに良くできているものは多分地球上に余りない。
着衣も良いと思うが、人体の素晴らしさはNudeにとどめを刺す。
今まで30回以上描いたNudeでまあ気に入っているのは3つぐらい。気に入っているのはリアルで無く、ざっくり書いたどちらかと言えば荒いタッチの絵。
有名な画家でいえばマチスやモジリアーニのNudeがいい。
Nudeに細いのは似合わない。太めの豊満なのがいいと思う。ルノアールのNudeも素晴らしい。
今年は11月が展覧会だという。
まだ、出せそうなものは1~2点。頑張って描かなくては!
因みにNudeの日はデジカメが取れない。当り前だ!
【宮本画伯のレトロアグラース -部分-】