2013年11月6日。
平塚市の郊外にある真土大塚山公園。
ここはかつて古墳があったところだ。
正確に言うと、古墳のあったところは某自動車会社の社員寮があって、今は取り壊され、近々大規模住宅地として売り出されるはずだ。
今ある真土大塚山公園はこの古墳の100mほど北にある。
実はここはは古代史上大変有名な場所であり、謎に満ちた場所だ。
大塚山古墳を有名にしたのはここから三角縁神獣鏡が出土されたから。
三角縁神獣鏡は正確には三角縁四神二獣鏡(さんかくぶちししんにじゅうきょう)といい、作られたのは4世紀ごろ、鏡の縁の断面が三角形で、その中には四人の神像と二頭の獣像が配置されている。
鏡径22.1㎝の良質の白銅質で出来ており、中国から特別に輸入された鏡ということだ。
なぜ、当時の都(京都あるいは九州)からこんなに遠い真土で出土したのかは古代史の謎とされているが、この地に中央政権と強力な関係を持つ豪族がいたという説が有力になっている。
神獣鏡自体は全国に400とも500ともいわれる数が見つかっており、それ自体はそれほど稀なものではない。
では何故、真土大塚山古墳が有名かというと、京都椿井(つばい)大塚山古墳と同じ型の神獣鏡(同笵鏡)だということからだ。「陳是作鏡」の鏡で陳さんが作ったと明記されている。
椿井大塚山古墳からは400~500枚のうち32枚もの神獣鏡が見つかっている。
当時、神獣鏡は大変貴重なものとされていて、32枚のの鏡が出土したということから、椿井大塚山古墳の被葬者は当時の大和政権においてきわめて強力な存在であることが知られ、同じ型の鏡を持つ真土大塚山古墳の被葬者は西方の有力者と社会的・政治的に深い交渉、連絡を持っていた人物と言われる。
では何故、真土大塚山に古墳を作ったか。
いろいろな説があるが、相模川の自然堤防を利用し、砂地で小高くなっているところに目をつけたと思われる。
そこで、超大胆な仮説を立ててみた。(学術的には全く根拠のない思い付きの推測ですよ!・・・)
つまり、謎の正三角形仮説だ。(バミューダトライアングルもしくはピラミッドの正方位説からの妄想)
当時、建物は全くと言っていいほど無いから、この大塚山の高さ20mほどの高さから見ると、360度ぐるっと見渡せたはずだ。
そうすると、一番高い富士山。眼前にそびえたっていたと思われる。
東に目をやると伊豆半島。ここで一番高い山は天城山。(正確に言うと万三郎岳)
ここが、ほぼ一片を65kmとする正三角形の頂点となる。
その3番目の頂点がここ真土大塚山。
そこで、エイヤーと、大塚山に決め、ここに古墳を作ったのではないか!?
きちんした正三角形は富士山と天城山とすると3点目は寒川神社あたり。
富士山と真土大塚山を起点にすると3点目は修善寺あたりになるぞ。
当時の風景を思いやると、そんな気が益々してくる。
意外と、古代人はこういうところにこだわる。(ハズだ!)
第一、ピラミッドもスフィンクスもメキシコのマヤ文明ピラミッドもこうした方位をきちんと計算して作ってある。
実は真土大塚山もそうしてできているのではないか!?
そんな訳ないか!!