2018年9月29日。
近くの前鳥神社で1650年祭というお祭りがあって雨の中出かけた。
地元の神社や近隣の神社からもお神輿が出て風情があった。
神社の役員であるW氏はかなり前から神輿の担ぎ手が集まるか心配していたが、なんのなんの大勢の担ぎ手が参集し威勢がよかった。
小雨が降るなか、カッパも着ず殆どずぶぬれ状態で盛り上がっていてなかなか素晴らしいものだった。
1650年祭という事は今から1650年前。つまり西暦380年ごろの話だ。
時代で言うと古墳時代。ヤマト王朝が出来たころ。
考えてみれば、人間が生まれ、社会が形成されてくるとまず出来てくるのは、人間(権力)の上下関係でリーダーとなる人と崇拝するあがめる対象かもしれない。
それは今各地にある典型的な寺社の建物に代表されるイメージでなく、もっと素朴な建物や対象物だったのかとも思う。
もっとも、607年には法隆寺の創建、752年には東大寺の大仏の開眼供養とあるから思ったより建物や仏像等の建立に力が入っていたのかもしれない。
いずれにしてもそんなに古くからこの地に歴史ある神社があったという事は地域の誇りだ。
大野誌にこう書いてある。
「例祭日 9月28日神輿渡御儀あり、例祭執行後、八興祭執行の上、氏子の青年により大太鼓、社銘旗を先頭に神職、氏子総代、大字総代、町代、奉賛会役員等前後に供奉して氏子一円を渡御するものにて、字大会原、合併神社日枝神社跡地に高竹4本を立て、注連縄を張り、神輿安置して神饌数台を供し、天下泰平、村内安全、五穀豊穣の祈願を行い、これより神社参道に入り粛々と進み神戸橋まで至る。
(これより奉楽)神戸橋より供奉の両側に整列して神輿とともに前進、神職氏子総代代表上下着してその中央を進み先導、尚警護として終戦時まで当年徴兵適齢期の若集10数人上古服裃を着し、両側に候して進み鳥居前に至れば神輿に木綿(白のさらし)長さ一反結び付けその先端を神職と裃の氏子総代二人にて持ちて拝殿まで誘導す。
この布を前の綱と言う。拝殿の前まで至れば総代以下供奉全員警護共新薦(こも)を両側に敷きて平伏して神輿拝殿前着御となる。着御と同時に撒餅式をなす。」とある。
昨日は久しぶりの快晴だったが、今日は雨の中の例大祭になった。
しかし、境内が雨にしっとりと打たれ、木々は緑を増して威厳のある祭りだった。