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 湘南の田舎から日々雑感
by yahhosaito
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2008年 09月 11日 ( 1 )


我が家の9.11

今年も9.11がやってきた。早いものでもう7年になる。
3000名近い人が亡くなった。

我が家も9.11は記憶に生々しい。

その日、2001年の9/11、台風15号は本州を直撃し、時速15kmと言う、極めてゆっくりとしたスピードで紀伊半島から伊豆半島を結ぶ線をゆっくりと進んでいた。

今朝は、フィリピンから末の娘が3週間ぶりに帰ってくる日でもあった。
ピナツボ火山の麓オロンガポ市郊外で塀作り(変な作業だなあ・・?)のボランティアに行っていた。成田着予定、6:00。
しかし、成田はまさに暴風雨圏内に入ろうとしていた。
我が家ではインタネットで台風情報をチェックし、本当に成田に無事着陸できるものかとハラハラドキドキしていた。
幸い、エアインディアは風の頃合いを見計らってか無事に着陸してくれたようだ。7:00、絵美から無事に着陸した旨の第一報が入った。
良かった。良かった。皆、胸をなで下ろした。

一方、この日の夕刻は、長女がアメリカに向かう番だった。
家を朝10時過ぎに出て、大船からエアポート成田の電車に乗り、17:45エアカナダ機で一路バンクーバー経由、オレゴン州ポートランドに向かう事になっていた。
友達のOさんに会う為で彼女の結婚のお祝いも兼ねた久々のアメリカ行きでもあった。

心配の台風もお昼頃は鎌倉に上陸したとのことで、かなりの強風が吹き荒れていたが、15:00くらいにはかなり強い風も収まった。
夕刻にはすっかり台風一過の様相で丹沢から富士山方面にかけて赤い夕焼けが見事に広がっていた。
何と言うタイミングの良さだろう。絵美は台風より早く、真理子は台風より遅かった為二人とも無事に着陸と離陸を果たす事が出来たと言うわけだ。

真理子にとっては久しぶりの海外旅行。一抹の不安はあったようだ。
今回は一人旅だし、英語だって心もとない。お兄ちゃんはバックパッカ専科だから、今も海外に出たままだし、いままでに何回も一人で行っている。
絵美だってルーマニアやフィリピンなど結構レアなところに行っている。
彼女(真理子)は自分一人が置いてきぼりを食ったような感じがして何かやりたい・・・。そんな中で決めた今回の一人旅であった。(と思う。)

************

エアカナダ機は定刻を1時間ほど遅れての出発となった。
あたりは既にすっかりと日が暮れて先ほどの夕焼けはすっかり夜の中に沈んでいた。
あたりは知らない人ばかり、ちょっぴりミステリアスでもあったが、さすがに頼れるのは自分一人かと思うと不安が増幅されてこの先の8日間の旅が心配になっていた。

成田から1時間もすると機内は水平飛行に移ってくつろいだ雰囲気が漂い始めた。
スチワーデスが夕食の準備を始める。機内が急にざわついてきた。8時間の飛行機の生活が正にスタートした。
夕食はおなかが空いていたのでおいしかった。緊張が少しずつ解けていくのが解った。
明日の朝にはOちゃんに会える・・・。
しばらく、機内でくつろいでいた。

実はこのあと、とんでもない事が起ころうとしていた。日本時間9月11日の21:45分。

アメリカ、N・Yではこの時間9月11日の08:45分だった。
朝のビジネスマンたちの行動が今始まろうとしていた。

まさにそのとき、朝の:45分。マンハッタンのオフイス街世界貿易センタビルにジャンボが突っ込んだのだ。
抜けるような青空の中にそびえたっている2本のツインタワーに航空機がめり込んだ。

嘘のような光景。

そして10数分後に又1機が突っ込んでいった。まるでスピルバーグの映画に様に。
b0158170_2272341.gif

        World Trade Center Photos より

そのあとの経過はご承知のとおり・・・・。
9.11としてその後の世界を大きく変えていくことになった。

真理子を乗せた飛行機はまだほとんどの乗客がこの事実を知らなかった。
しかし、一部の人は知っていたようだ。携帯電話で地上と連絡を取り合っていた人たちだ。
真理子はちょうどトイレの前にいた。どうも飛行機はバンクーバーの飛行場の近くをうろうろと旋回しているらしかった。どうして着陸しないんでしょうね?真理子は近くの男性に尋ねた。男性はその事実を既に知っていた。「テロが起こった!」

****************

当時、本社勤務でその夜、お茶ノ水から帰ってくると、家に入るや否や、「お父さん、大変!!」テレビ見た?(見るわけないでしょう。今帰ったんだから!)
テレビ見て!飛行機が大変。(お母さん!お、お、お落ち着け!!)

ニュースステーションのTVは今少し前にニューヨークの貿易センタービルに突っ込んだ飛行機を映していた。
この時点ではテロということはまだ分からず、とにかくテレビ局もスタッフも何がなんだか分からないと言う感じだった。あっちこっちでパニック状態。

そして、2機目が・・・
それはビデオの再放送を見ているようであったが、紛れもない2機目だった。b0158170_947244.jpg

写真;ウィキペディア(Wikipedia)より

そのころ真理子はちょうど成田をたって数時間。バンクーバーまであと少しという状況だった。真理子より2,3時間遅く立った飛行機は危険回避のため成田に戻ったらしかった。
しかし、エアカナダ機はバンクーバーの航空圏に入っており、燃料の関係もあって戻れない。
バンクーバーに降りるしかなかった。

テレビによれば、ハイジャックされた飛行機は11機。えっ同時に11機? 11機なんていうことは普通じゃない!
しかも、2機もWTCに突っ込んだ。
そのうちに、3機目がペンタゴンに突っ込んだ。
えっ、ペンタゴン。国防省でしょ!、まさか!!
しばらくして、4機目がワシントンD.C.郊外に墜落ことをTVが伝える。
次々と信じられないニュースが飛び込んでくる。ニュースを伝える久米さんがうろたえている。
こりゃどう考えても普通じゃない!

真理子はいまアメリカの空を飛んでいる。まさか、11機の中に入っているんじゃないだろうか?

テレビは黒煙を上げるWTCを映し出していた。あちこちが混乱していた。

いくら心配しても連絡のとりようがない。成り行きを見守るしかなかった。
しかし、その後今現在アメリカ上空を飛行している航空機は2000機あるということが分かって、いくらか心配が薄れた。
その夜は午前2時ごろまでテレビをみて、眠ることにした。

朝、7:00、電話が鳴った。
若い男の声で、「吉田といいますが、ハイジャックのことはテレビでご存知と思います。
いま、お宅のお嬢様を預かっています。どうぞ無事なのでご安心ください。」と言う電話だった。
大変落ち着いた声で数千キロ離れているのに信頼感が伝わってきた。
「良かった。心からそう思った。」
どうも飛行機の中でうろうろしている娘を心配して「保護」してくれたののだそうだ。

ハイジャックが起こったと同時にアメリカの管制は国内に着陸することを禁止した。
大変な数の航空機が我先に(のんびりしてるとガス欠になってしまう)近くの飛行場に降りた。
といってもカナダの飛行場は限られているので極めて大変だったらしい。
真理子の飛行機もバンクーバーに降りたはいいが、問題はホテルだった。
近くのホテルはツアーの団体や航空関係者に早々に押さえられ、一人旅のしかもさっぱり要領を得ないビギナーにとってはうろうろするしかなかった。

そんな様子を傍から見ていた乗客の吉田氏は見るに見かねて真理子に助太刀をしてくれたと言うわけだ。
「もし良かったら私の友人がバンクーバーにいます。そこに来ませんか?」真理子はさすがに車に乗せられたとき、「覚悟」を決めたと言う。

バンクーバーから行き先のポートランドは国境をはさんで目と鼻の先。
ハイウエーだと8時間くらいのことらしい。
ポートランドにいる友人は真理子と連絡が取れて、車で迎えに行くといったが、あいにくカナダとアメリカの国境はこの事件で封鎖されてしまった。

結局、吉田氏の友人のコーセー君の家に5日間くらい泊めてもらった。
彼はたまたまエアカナダの社員で運行の状況やことの成り行きがマスコミより早くに分かった。
ここ2,3日で飛行開始するらしい・・・。
飛行機が運航されるようになって、結局ポートランドには一度も行かずに我が家に戻ることになった。

結果的に無事で戻ることが出来たが、あの状況下では何がおきてもおかしくない状況だった。
しかし、バンクーバーでの生活はなかなかユニークでテロというハプニングにしてはいい経験をしたようだ。
その後、彼の結婚式によばれたり、我が家にも遊びに来てくれた。
出逢いとは不思議なものだ。

我が家の9.11。
当時学生だった真理子はことし26で来年はお嫁に行くことになった。
あれから7年経った。

by yahhosaito | 2008-09-11 20:49 | 日々 | Comments(0)