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 湘南の田舎から日々雑感
by yahhosaito
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2019年 03月 10日 ( 2 )


詩とドキュメントによるダイアリー

2019年3月11日。

確か「詩とドキュメントによるダイアリー20才」というラジオ番組だったと思う。
吉永小百合が朗読するラジオドラマでたぶんNHKの製作。
戦後の混乱期から20歳になる過程をドラマ仕立ての朗読に仕立てて、なかなか感動的な内容だった。

20歳という企画だったから多分吉永小百合氏が20歳の時の今から50数年前のことだ。

なぜ、鮮明に覚えているかというと、どういう訳かこの番組を録音したのだ。
それを後日何回か聞くに及んであらすじを覚えてしまった。

その中にこういうのがあった。

『ころがりしカンカン帽を追うごとく ふるさとの道駆けて帰らん』

『とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ 虐げられし少年の詩を』

・・・ツルゲーネフを初めて読む・・・。

吉永小百合氏はこの時の録音のことを覚えているだろうか?
探せばまだどこかに録音テープが残っているかもしれない。
だが、残念なことに見つかったとしても再生するデッキがない。
オープンデッキだから。
今はカセットテープかデジタルになってしまった。

挿入されている二つの短歌を短歌とは思わず、そのあとに出てくるツルゲーネフの小説の一節かと思っていた。
それが最近になって寺山修司の短歌と分かった。

なるほど・・

寺山修司は熱狂的なファンがいて存在感もかなりのものだったが、ファンというほどのこともなかった私は僅かに何かで多少の短歌を知っている程度だった。

『そら豆の殻一せいに鳴る夕 母につながるわれのソネット』

b0158170_11552571.jpg

この歌は20代か30代のころ、どこかで聞いた。
なかなかのものだと思った。

あれから40年。いや、50年。

寺山修司が亡くなって35年を超えた。
なんだか、彼の戯曲や短歌を読んでみたくなった。




by yahhosaito | 2019-03-10 11:44 | 日々 | Comments(0)

8年目の3.11

2019年3月10日。

東日本大震災から8年。
あの日が嘘のように晴れ渡り、朝から15度もあって爽やかな朝だ。

我が家の3.11は被災地域の苦労からすると天と地の違いはあるが、記憶にとどめておくために書いてみる。

そもそも3月11日の14:46には厚木アクストという27階のこの付近では超高層ビルの3階にいた。
この3階には厚木市が主導するインキュベーションルームというのがあり、我々はその一角にオフィスを借り、新規ビジネスをやっていた。立ち上げから4年目くらいだったと思う。

その一角には数社のベンチャーが入っており、それぞれに事業をしていて、普段は電話の声くらいしか物音はしなかった。

14:46。ビルは静かに揺れだした。ゆっくりだった。一瞬天井を見上げるが、ぶら下がっている電球はなく、揺れを体で感じるほかは地震の判断材料はなかった。
ゆっくりと右に揺れ、左に揺れだした。

これは、少し大きい、いつもの揺れと違う。

隣にいた計測器開発ベンチャー企業の社長の奥さんが飛び出してきた。
すごいわね。大丈夫かしら。

部屋は出口は一つしかなく、万一に備え、ドアを開けに行く。
避難指示の放送はなかった。
電気はまだ点いていたように思う。揺れが収まり、とにかく外に出ようと階段で外に出た。

階段はビルの従業員で混雑していた。
27階から降りてくる人は大変だったろう。
27階から降りてくるのは結構大変だ。
この時も真っ暗で悲鳴が聞こえる程ではなかったので、おそらく電気はついていたのだろうと思う。
皆、言葉を発せず、家族や友人のことを思い、懸命に下に向かっていたのではないかと思う。

外の広場は人で埋まっていた。
1000名を越していたと思う。

事務所に戻り、とにかく帰宅することになった。
15:10頃だったと思う。

なんだかすごいことになっている様子。

車で帰宅したが、15:15頃、運転中にまた激しい揺れを感じいた。
車のハンドルをとられるような揺れで、減速し付近の電線を見ると大きく波を打っている。
電柱が倒れてきたらアウトだ。
直撃は免れたとしても、道をふさがれたら帰宅はできなくなる。

20分後家につくと停電。
TVでの情報確認は不可能だった。

ラジオで情報確認しつつ、地元の仲間に声をかけ、町内を確認に行くことにした。16:00ごろだったと思う。
自治会長I氏、防犯会長W氏と私。

初めに独居高齢者のお宅を10軒ほど。
そのあと、各家々を回った。
お怪我はありませんでしたか?被害はなかったですか?

皆不安で一軒での会話が少し長引いた。
10数件ほど回るとやがて暗くなってきた。

暗くなって停電の中、夜間の訪問はかえって不安感を増す。
全戸訪問はそこで諦め、自宅へ。

TV情報はなかったが、ラジオで東北地方が大変な状況になっていることを知る。
マスコミの報道は原発に焦点が移っていた。

夕食は何を作ったのだろう。
電気がなかったから調理はできない。
たぶん、薪ストーブがあったので、それで調理したのだろうと思う。
暖房もストーブで全く問題はなかった。

長女だけが嫁ぎ藤沢に住んでいた。
他は自宅からの通勤だったが、長男は某市役所で深夜まで地震対応。
次男は横浜に出張中。次女はバスか何かですぐに帰宅したのだと思う。

長男次男は夜になっても連絡が入らず、心配した。
携帯電話は通じない状況だった。
家の電話はfax機能付きのため電源が必要。停電だと使えない。

11時過ぎても連絡が入らない。
そこで気が付き、確かどこかに電源不要の電話機があったはずだと、押し入れの奥から探し出し、電話コードをジャックに繋ぐ。

すると1時間のしないうちに電話がかかってきた。
停電でも電話線だけなら使える。

b0158170_09523452.jpg
窮地を救った停電でも使えるold電話機

次男は横浜から戸塚まで20kmほどを革靴で歩いてきたらしい。

戸塚から藤沢までバスが動いており、藤沢まで来たという。
藤沢に長女の家があるのでそこで泊まらせてもらうと言っていた。

やがて長男と連絡が取れ、24時過ぎに市役所で解散指示が出たので帰宅するという。
帰る手段がないので迎えに来れないか。

じゃ、長男迎えに行くついでに次男のいる藤沢に行くと24時過ぎに家を出る。
24時を回っているのに国道1号線は家路につく人が黙々と下を向いて歩いている。
その数、途中、数百名。

藤沢から家に戻る途中、小高い銀河大橋から平塚方面を見ると漆黒の闇に自家発電か何かの明かりがポツンポツンと点いていたのが印象的で、改めてことの異常さに震撼とした。

b0158170_09441782.jpg

それからの経緯はマスコミなどで報道される通り。

津波と原発で日本中が揺れに揺れていた。
津波の想像を絶する凄さはまさに「言葉を失う」という例えの通り。キチンとコメントできなく、「あ~」「う~」「え~」といった言葉にならない絶叫の言葉が続く。

次の日からは電気も復旧し、マスコミからの状況伝わってきた。
特に原発は先が全く見えない不安に日本中が震撼した。
放射能やシーベルト、ベクレムといった聞きなれない言葉が余計に不安を増した。

風向きによっては都会にも莫大な被害が出るかもしれない。
2000万人が避難なんて言う最悪のシナリオも想定され、連日、政府やテレビの解説者が状態を解説する。

20数年前のチェルノブイリ原発の映像を思い出す。
ウクライナの農村風景の広がるチェルノブイリ。何か目に見えない病原菌が蔓延するような恐怖感。
そんなイメージを思って見てしまう。

あれから8年。
大きく復興したが大きな爪痕はまだまだこれからだ。

3年前に田老地区を訪れた時、ガイドしてくれたボランティアさんが、崩れた防潮堤の四角い800余個のギザギザは三陸沖地震で亡くなった人の墓標ではなかったか?と言っていたのを思い出す。




by yahhosaito | 2019-03-10 09:44 | 日々 | Comments(0)