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 湘南の田舎から日々雑感
by yahhosaito
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カテゴリ:日々( 551 )


格安スマホはいいね!

2019年3月29日。

3500円から5000円、7500円経由、現在1250円。
ガラケーを持ったのが2000年少し前あたり。
本社に転勤になったときに、緊急連絡があるかもしれないので携帯を持参するように言われた。


D社の携帯で二つ折りのガラパゴス携帯。
アンテナが付いており、使うときは引き伸ばして使うのが何となく気分良かった。
確か月額の使用量3500円くらいかと思った。

会社では専用の固定電話があったが、それ以外に社内専用の携帯電話があった。移動先でも時々鳴ったが、まあ、結構便利に使った。
退社するときはデスクに置いて帰る。
自宅には持っていかないから、退社すれば会社との関係はそこで遮断される。
(今はそうもいかないらしい。自宅まで電話が入るとも聞いている。)

最初は折り畳み式の卵のような形をした携帯電話だったと思う。以降、ガラケーを数台、延べ20年ほど使い、数年前からスマホに替えた。
機能が豊富だが、使えこなせず、重いのとすぐに電池が切れるのと大きいのの三重苦で今まで来ている。
本当はガラケーで十分なのだが…

初めて使ったA社のスマホは月5000円ほどだった。
何でも他社乗り換えとかで2000円ほど割引があるのだという。
それを2~3年使うと、いきなり乗り換え割引が無くなり7500円くらいになった。

電話使いたい放題。
データ使用量も3GBとかで5000円に時代はそれなりに便利と思って使っていたが、7500円になるとさすがに高いと思った。
コマーシャルでは格安スマホが喧伝されている。乗り換えるか!?

b0158170_21162241.jpg
      ガラケーたぶん2代目   スマホはA社からY社になった

7500円になって1年ほどたち、契約切り替えはこの2か月以内にやらないと違約金を取られます。
結構勝手な契約だが、それを理解の上で契約結んだのだから、当然の契約履行だ。

そこで、切り替え期間の今月格安スマホを契約に行った。
Y社のスマホ。なんと月額1250円くらい。

まだ、請求が来ていないのでにわかには信じがたいが、契約がそうなっているのでたぶん間違いないと思う。

この違いは何なんだ!?

通話も普通にできるし、インタネットも普通につながる。
但し、電話はかけ放題でなく10分間がタダ。あとは有料。
そうならば、10分間で大概の通話は何とかなる。
10分すぎればかけ直せばいいだけの話。

7500円-1250円×12か月=75,000円

さて、この差額を何に使おうか。

それもさておき、何か少しおかしいくないか!?
ほとんど同じ機能がこんなに違うなんて信じられない。

たぶん、自分と同じように過剰機能で高いお金を払っているユーザーが結構いるのではないか?
ベビーユーザは別としても電話少々のユーザはこれで十分。

携帯会社は確か空前の利益を上げている。
多くの会社は利益は少なく出したほうが税金の関係でいいから、経費や積立金、準備金は限度いっぱいに積んでいると思う。
それでこの利益だ。

カミサンはD社で月5~6000円払っている。
使うのは携帯電話少々と若干のメール。
早く1250円コースにしなさい!

5000-1250×12=45000円
スイーツを毎年45000円
結構大きいね!
太るか!?
ナニ?別バラ!?

1250円も2年目からはその倍くらいになる。
それでも2500円くらい。
very good!



by yahhosaito | 2019-03-29 21:22 | 日々 | Comments(0)

詩とドキュメントによるダイアリー

2019年3月11日。

確か「詩とドキュメントによるダイアリー20才」というラジオ番組だったと思う。
吉永小百合が朗読するラジオドラマでたぶんNHKの製作。
戦後の混乱期から20歳になる過程をドラマ仕立ての朗読に仕立てて、なかなか感動的な内容だった。

20歳という企画だったから多分吉永小百合氏が20歳の時の今から50数年前のことだ。

なぜ、鮮明に覚えているかというと、どういう訳かこの番組を録音したのだ。
それを後日何回か聞くに及んであらすじを覚えてしまった。

その中にこういうのがあった。

『ころがりしカンカン帽を追うごとく ふるさとの道駆けて帰らん』

『とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ 虐げられし少年の詩を』

・・・ツルゲーネフを初めて読む・・・。

吉永小百合氏はこの時の録音のことを覚えているだろうか?
探せばまだどこかに録音テープが残っているかもしれない。
だが、残念なことに見つかったとしても再生するデッキがない。
オープンデッキだから。
今はカセットテープかデジタルになってしまった。

挿入されている二つの短歌を短歌とは思わず、そのあとに出てくるツルゲーネフの小説の一節かと思っていた。
それが最近になって寺山修司の短歌と分かった。

なるほど・・

寺山修司は熱狂的なファンがいて存在感もかなりのものだったが、ファンというほどのこともなかった私は僅かに何かで多少の短歌を知っている程度だった。

『そら豆の殻一せいに鳴る夕 母につながるわれのソネット』

b0158170_11552571.jpg

この歌は20代か30代のころ、どこかで聞いた。
なかなかのものだと思った。

あれから40年。いや、50年。

寺山修司が亡くなって35年を超えた。
なんだか、彼の戯曲や短歌を読んでみたくなった。




by yahhosaito | 2019-03-10 11:44 | 日々 | Comments(0)

8年目の3.11

2019年3月10日。

東日本大震災から8年。
あの日が嘘のように晴れ渡り、朝から15度もあって爽やかな朝だ。

我が家の3.11は被災地域の苦労からすると天と地の違いはあるが、記憶にとどめておくために書いてみる。

そもそも3月11日の14:46には厚木アクストという27階のこの付近では超高層ビルの3階にいた。
この3階には厚木市が主導するインキュベーションルームというのがあり、我々はその一角にオフィスを借り、新規ビジネスをやっていた。立ち上げから4年目くらいだったと思う。

その一角には数社のベンチャーが入っており、それぞれに事業をしていて、普段は電話の声くらいしか物音はしなかった。

14:46。ビルは静かに揺れだした。ゆっくりだった。一瞬天井を見上げるが、ぶら下がっている電球はなく、揺れを体で感じるほかは地震の判断材料はなかった。
ゆっくりと右に揺れ、左に揺れだした。

これは、少し大きい、いつもの揺れと違う。

隣にいた計測器開発ベンチャー企業の社長の奥さんが飛び出してきた。
すごいわね。大丈夫かしら。

部屋は出口は一つしかなく、万一に備え、ドアを開けに行く。
避難指示の放送はなかった。
電気はまだ点いていたように思う。揺れが収まり、とにかく外に出ようと階段で外に出た。

階段はビルの従業員で混雑していた。
27階から降りてくる人は大変だったろう。
27階から降りてくるのは結構大変だ。
この時も真っ暗で悲鳴が聞こえる程ではなかったので、おそらく電気はついていたのだろうと思う。
皆、言葉を発せず、家族や友人のことを思い、懸命に下に向かっていたのではないかと思う。

外の広場は人で埋まっていた。
1000名を越していたと思う。

事務所に戻り、とにかく帰宅することになった。
15:10頃だったと思う。

なんだかすごいことになっている様子。

車で帰宅したが、15:15頃、運転中にまた激しい揺れを感じいた。
車のハンドルをとられるような揺れで、減速し付近の電線を見ると大きく波を打っている。
電柱が倒れてきたらアウトだ。
直撃は免れたとしても、道をふさがれたら帰宅はできなくなる。

20分後家につくと停電。
TVでの情報確認は不可能だった。

ラジオで情報確認しつつ、地元の仲間に声をかけ、町内を確認に行くことにした。16:00ごろだったと思う。
自治会長I氏、防犯会長W氏と私。

初めに独居高齢者のお宅を10軒ほど。
そのあと、各家々を回った。
お怪我はありませんでしたか?被害はなかったですか?

皆不安で一軒での会話が少し長引いた。
10数件ほど回るとやがて暗くなってきた。

暗くなって停電の中、夜間の訪問はかえって不安感を増す。
全戸訪問はそこで諦め、自宅へ。

TV情報はなかったが、ラジオで東北地方が大変な状況になっていることを知る。
マスコミの報道は原発に焦点が移っていた。

夕食は何を作ったのだろう。
電気がなかったから調理はできない。
たぶん、薪ストーブがあったので、それで調理したのだろうと思う。
暖房もストーブで全く問題はなかった。

長女だけが嫁ぎ藤沢に住んでいた。
他は自宅からの通勤だったが、長男は某市役所で深夜まで地震対応。
次男は横浜に出張中。次女はバスか何かですぐに帰宅したのだと思う。

長男次男は夜になっても連絡が入らず、心配した。
携帯電話は通じない状況だった。
家の電話はfax機能付きのため電源が必要。停電だと使えない。

11時過ぎても連絡が入らない。
そこで気が付き、確かどこかに電源不要の電話機があったはずだと、押し入れの奥から探し出し、電話コードをジャックに繋ぐ。

すると1時間のしないうちに電話がかかってきた。
停電でも電話線だけなら使える。

b0158170_09523452.jpg
窮地を救った停電でも使えるold電話機

次男は横浜から戸塚まで20kmほどを革靴で歩いてきたらしい。

戸塚から藤沢までバスが動いており、藤沢まで来たという。
藤沢に長女の家があるのでそこで泊まらせてもらうと言っていた。

やがて長男と連絡が取れ、24時過ぎに市役所で解散指示が出たので帰宅するという。
帰る手段がないので迎えに来れないか。

じゃ、長男迎えに行くついでに次男のいる藤沢に行くと24時過ぎに家を出る。
24時を回っているのに国道1号線は家路につく人が黙々と下を向いて歩いている。
その数、途中、数百名。

藤沢から家に戻る途中、小高い銀河大橋から平塚方面を見ると漆黒の闇に自家発電か何かの明かりがポツンポツンと点いていたのが印象的で、改めてことの異常さに震撼とした。

b0158170_09441782.jpg

それからの経緯はマスコミなどで報道される通り。

津波と原発で日本中が揺れに揺れていた。
津波の想像を絶する凄さはまさに「言葉を失う」という例えの通り。キチンとコメントできなく、「あ~」「う~」「え~」といった言葉にならない絶叫の言葉が続く。

次の日からは電気も復旧し、マスコミからの状況伝わってきた。
特に原発は先が全く見えない不安に日本中が震撼した。
放射能やシーベルト、ベクレムといった聞きなれない言葉が余計に不安を増した。

風向きによっては都会にも莫大な被害が出るかもしれない。
2000万人が避難なんて言う最悪のシナリオも想定され、連日、政府やテレビの解説者が状態を解説する。

20数年前のチェルノブイリ原発の映像を思い出す。
ウクライナの農村風景の広がるチェルノブイリ。何か目に見えない病原菌が蔓延するような恐怖感。
そんなイメージを思って見てしまう。

あれから8年。
大きく復興したが大きな爪痕はまだまだこれからだ。

3年前に田老地区を訪れた時、ガイドしてくれたボランティアさんが、崩れた防潮堤の四角い800余個のギザギザは三陸沖地震で亡くなった人の墓標ではなかったか?と言っていたのを思い出す。




by yahhosaito | 2019-03-10 09:44 | 日々 | Comments(0)

鎌倉方面

2019年3月6日。

3月5日は快晴。
気温も15度くらいとまずまずで、春霞のせいか富士山は少しぼんやりと霞がかっていた。

市役所に確定申告を出し、その足で藤沢から江の島通って鎌倉へ。
藤沢の新林公園に車を置かせてもらってそこからポタリング。

b0158170_07103156.jpg
新林公園の満開の梅林

新林公園の駐車場は50台くらい駐車できるが、平日のせいか停まっているのは1/3くらい。
施設を平準化して使うのは「難しい!」
(効率化論を突き詰めて平準化への一大発見するとノーベル賞ものか!?マ、無理だな。)
b0158170_07095785.jpg
稲村ケ崎を下って材木座海岸から逗子方面

引地川沿いに進み、江の島に出てそこからR134。
なんだか久しぶり。
海はキラキラと光り、空は真っ青。春到来という感じだ。
やっぱり春はいい。

横に江ノ電が走るこの辺りは観光的にも人気があるので結構人が出ている。

若い人が多い。カップルも多いが、意外と若い女性の二人ずれも多い。なぜだ!?

中には真っ赤な口紅に和服を着ている女性もいる。
最近、浅草や鎌倉あたりでも和服の女性を見かける。流行りか?

稲村ケ崎を過ぎて逗子方面や材木座海岸などを眺めるとなかなかいい風景だ。海の色は青く澄んでかなり綺麗なことが分かる。
段葛の桜は平成26年に植え替えたというからここを見るのは4~5年ぶりという事か。
なんだか頼りない細い桜が植えてある。
まあ、桜は成長が早いので10年もたてば、立派な木になると思う。

これもまた久々に「光則寺」に行ってみた。
梅が満開、入り口にあるソシンロウバイもまだは花を付けていた。
20数年前、鼻の手術をしたとき、治ったら光則寺の蠟梅の香りを楽しみに行こうと入院先のベットで切実に思ったことを思い出す。

b0158170_07130787.jpg
この右手に蠟梅あり

雪の下に会社の先輩のお宅があり、独身の頃、遊びに行ったことがある。
この辺りは昔からの家が多く、それも豪邸だ。
道はくねくねと細く曲がっているがそれが鎌倉らしいかもしれない。
有名な小説家の隣とかという話だった。

自転車だから小道もスイスイだ。

さらに奥の方に行くと、びっくりするような大邸宅もある。
どなたの住まいか。
どうでもいいが、いや、少し気になる。

色々と考えてしまう。

自転車はいろいろ考えることができるのがいい。
車じゃ、考えていたらアブナイ。

家族はどうなのか?跡継ぎ入るのか?(世間は少子高齢化であと次ぐ子供がいなく、空き家が増えた!)
こんな広い家で、近所付き合いはどうなのか?(広すぎてお隣さんと顔合わせ機会あるのかな?)
相続や税金はどうしているのか・・(余計なお世話だ!!)

昨日、たまたまこんな記事が載っていた。
ある有名な元アナウンサーの話。

7LDKの12億円の豪邸は光熱費が10万円/月、固定資産税が年間400万円以上とか・・

豪邸もいいがほどほどがイチバン。
我が家も7LDKだが、かつて8人が今は2人だけなので、1LDKあれば十分。
作業部屋と物置部屋を入れても3LDKあれば御の字だ。
それに、田舎だから固定資産税は数万円だろう。アナウンサーの1/100だ。

まあそれにしても、ビックリハウスが多い。

湘南海岸はそろそろロードバイクとツーリングバイクの季節になる。
久しぶりの鎌倉と久しぶりの足漕ぎ自転車。
リフレッシュしました。



by yahhosaito | 2019-03-06 07:11 | 日々 | Comments(0)

フキノトウの天ぷら

2019年3月4日。

昨日はいい天気だったのに今日は朝から冷たい雨だ、
外の寒暖計は10度を指している。
大降りの雨ではないが、霧雨に近い雨。小ぬか雨か!?

b0158170_17414116.jpg

3月に入って幾分暖かくなった感じはあるがまだまだ。
庭の梅も咲きだして雨に打たれている。

4時を過ぎると心なしか少し暗くなって、ジャあアルコールタイムに突入するか・・・
と、肴を作り始める。

出かけたついでに寄った「わくわくランド」にあじの刺身。
フキノトウもあった。
畑の大根に釜揚げシラス。

これだけあれば我が家の居酒屋は十分。
少し早いが5時過ぎにドリンキングタイムに突入した。

お酒は350日くらいは飲むが家では沢山は飲まない。
多くても2合どまり。
殆どは日本酒1合だ。

早めに始めると夕飯まで時間があり、飲んでしまうから決して早くには始めない。
多くは夕飯の始まる30分前。
まあ、たまには例外もあるけどさ。

肴は10年ほど前から大概は自分で作る。
今日のメニューはフキノトウの天ぷら。
20個ほど作ったがさすがにそんなには食べられない。

作りたては特に旨い。
ほろ苦い春の味。
色合いも揚げ具合もナカナカ。

b0158170_17413070.jpg

あじの刺身は白味噌とお酢でたたいて「なめろう」にした。
紫蘇でも入れると香が良いのだが、あいにく買い忘れ。
美味。

そんなこんなで、周囲はすっかり暗くなった。
明日は晴れて暖かくいい天気だという。

鎌倉でも自転車で出かけて見るか。
なんか、「現役世代」には申し訳なくて・・・




by yahhosaito | 2019-03-04 17:42 | 日々 | Comments(0)

時代の変化 -いい時代に生まれて-

2019年2月25日。


先日、会社時代の先輩からメールを頂いた。

「我々の人生は、人類の歴史でも、最も幸福な実例である」
という内容。

つまり、我々世代は、長い歴史の中で、一番幸せな時代を生きてきたのではないかというもの。

具体的に、先輩は事例を挙げている。
その内容は「まさしく!」と日頃から思っている内容そのものだった。

例えば、
・世界第2次大戦やそれ以前の戦争で、親の世代や上の世代には大変であったが、我々は生まれていないか、幼くてあまり影響がなかった。
・戦後の混乱で生活は苦しく、ひもじい思いもしたが、それも長くは続かなかった。
・日本の高度成長期にあたったため、1960年代頃から生活がどんどん豊かになり、多くの日本人にとって、日本の歴史上、最高水準になった。
・エネルギー源が石油やガス、電気の時代となり、過去に例がないほど、エネルギーを有効活用出来た。
・科学技術や社会システム、更にはインタネットの進歩によって、社会生活や個人の生活が、格段に便利になった。
・整備された日本の健康保険制度や年金制度を活用出来、まずまずの暮らしが出来ている。
・その他・・・

確かに、その通りだ。
もちろん、例外もあったり、一部には年金受給が十分でなかったり問題はある。
しかし、総じていえば、とてもいい時代を生きて来たのではないかと思う。

会社時代を振り返っても、いい時代だった。
特に、自分がいた事業所は、大型のコンピューター製造メーカーだったので、まさにコンピューター発展の歴史を目の当たりにしてきた。

真空管やパラメトロンといった初期のコンピューターからトランジスターへ移行が始まり、更にLSI、超LSIといった技術核心の真っ只中だった。

性能は、2倍から10倍へ、10倍から100倍、1000倍、10000倍へと幾何級数的に進化した。
売り上げも、倍々ゲーム的な伸びで、とても勢いがあった。
そんな時代を共にしてきたのはまさに幸運としか言いようがない。

先輩は続ける。
この先の世代は、これからは化石エネルギーが涸渇し、我々の子孫は苦しむことになる。
これからの若い世代は十分には受給できない可能性が大。
平成は、停滞の時代であり、このまま推移すると、日本は後進国に落ちぶれるかも知れない。
しかし、仮にそうなるとしても、我々はその前に死んでしまい、悪夢は見なくて済む。

先日のY新聞に、平成の30年間は二つの歴史的な激動期の終焉から始まったとあった。
一つは、世界史的な危機の切迫が解決されたこと。
「ベルリンの壁崩壊で東西ドイツが統一」と「ソ連の崩壊」
もう一つは、「建国以来というべき産業の飛躍の最終期」
ということ。

5月から新しい時代が始まるが、この先どのような時代が来るのか嬉しいような怖いような・・
年寄りの老婆心?過大恐怖症?という事もあるが、付近の家が空き家で取り壊され、隣近所の付き合いが薄くなり、自治会等の役員のなり手が減り、色々な活動団体が衰退方向に向かっている現実を見ると、年寄ならずとも少々かなり心配になってくる。

Y新聞の記事はさらに伝える。
日本人は平成の直前頃から生き方を変え、大量生産・効率主義からの自発的な転換を図っていた。
物質の消費よりは情報の享受に関心を持ち、趣味・観光・スポーツなど文化活動により多くの時間を費やす傾向を強めてきた・・・
・・誇るべき国威が新たに芽生えているように思えてならない・・と。

まあ、そうした心配はあまりしなくてもいいか?

昨日、公民館のふれあい祭りが2日間にわたってあった。
最盛期の祭りからは少し縮小したような気もするが、まだまだ元気だった。
少し気を取り直した。

b0158170_07101754.jpg
ひな祭りももうじき。
このお雛様は娘の子供(孫)に使ってもらう事にした。
娘が生まれた昭和57年から30年以上我が家で3月を飾った。
一昨年、娘に娘(姫)が誕生し、良き時代を共にしたお雛様が新しい時代を共にすることになった。
ガンバレ!新世代!!





by yahhosaito | 2019-02-25 07:15 | 日々 | Comments(0)

早春の海

2019年2月22日。

知人から一冊の本、新書版を借りた。
『天災から日本史を読み直す』というタイトル。
著者は歴史学者で著名な磯田氏だ。

日本で起こった地震・津波・噴火など様々な災害が詳細に記されていてとても参考になる。

どこの記述も心に残るが、最後の方にこういう記述がある。

1946年に起こった昭和南海津波。

前略
地震の直後、気が付いたときはすでに潮が持ち上がっていて道路まで来ていた。
「これは津波かもしれん、逃げよう」と夫は言った。
夫が5歳と3歳の娘の手を引き、彼女(妻)は1歳の女の子を黒帯で包み背負った。
ところが、途中で津波の呑まれた。
胸までつかり、「背の子をしっかり押さえながら、死にのも狂いになって」電柱にしがみついたり家屋に逃げ込んだりするうちに夫とはぐれた。
高台に逃げようと小川の橋を渡ろうとするとき等々津波に体をすくわれて・・・後略

彼女は子供の名前を呼び続けた。放心状態になった彼女は誰かに体を抱えられ避難所の杉王神社に連れていかれた。
厳冬期12月の津波である。
わが子を失いずぶぬれになった彼女に声がかかった。
「寒いやろ、布団の中に入り」

私は歴史家としてこの時の会話を、後世に伝えたいと思う。

彼女はこういった。
「私はズブぬれやけん、よごすけん」

極限状態である。
何という人への優しさであろうか。
避難所に布団は少なく貴重なものだった。
きれいごとでは済まないことはいっぱい起こる。

しかし、優しさは確実に人に生きる力をもたらす。
彼女を心配する人が、「かんまん、汚れたら洗ったらええけん。」
と布団を重ねてすすめ、彼女は暖かさに包まれた。

「このご厚意は、私にとってどれほど嬉しかったことか。
今も亡くした子は、当時の年齢で私の胸に生きている。」
それから50年ほど生き、78歳になった彼女から出てきた言葉である。


久々にいい天気で暖かい。
妻を大磯の病院へ送って行くことになり、折角なので病院の帰りまで付近を自転車でグルグルすることにした。

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大磯の海岸に出た。
早春には少し早い海岸も日を浴びてきらきら光っていた。

最近、普段は電動自転車に乗っている。
今日は久々に、普通の自転車。

漕いでいる実感が伝わって、これもいいなと、改めて思った。



by yahhosaito | 2019-02-22 11:39 | 日々 | Comments(0)

久々の燻製

2019年2月18日。

先日、冬も終わりそうなので寒いうちに燻製作ろうと思い立ち久々にトライ。
肉屋でロース肉を500g買い塩つけにする。

いつもは三枚肉が多いが今回はロース。
三枚肉は脂が多く妻の評判が悪い。
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塩付け5日。風乾1日の所が忘れて3日の日干し。
その後、塩抜きをして燻煙にかかる。
燻煙器は次男が残していったバーべQのコンロ。中々調子よろしい。

60~70度で数時間の燻煙が目安だが、温度を測ると100を超えていた。
低温燻煙を冷薫、中温を温薫、高温を熱薫というが、熱薫になってしまった。
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まあ自分が食べる分にはいいだろう。
試食するとまずまず。
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今日は久々にいい天気で温かい。
外気温は朝9時過ぎで10度を超えている。
風がない分日差しが温かい。

あと、10日もすると弥生3月。
桜が来て、5月公園祭りがあって、あっという間に梅雨に入り、明けると猛暑。
残暑が来て、月見が来て、紅葉に、師走か・・・

この分では東京オリンピックも過去の話になる日が近い(かも)




by yahhosaito | 2019-02-18 10:28 | 日々 | Comments(0)

如月のころ

2019年2月13日。

数日前から真冬の寒さが続いている。
昨日は、朝、戸外の温度計がマイナス3度を指していた。
今日はこの時間、8時は5度を指している。
あと数日この寒さが続くと報道している。
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しかし、あと2週間すれば2月も終わり。
この寒さを楽しむくらいの気持ちで乗り切りたいものだ。

「経団連副会長6人内定」
と記事が出ていた。

現在の中西会長はH社の出身で同世代。
本社のどこかですれ違っていたかもしれない。

しかし、内定の6人と就任中の顔ぶれを見ると皆、年下だ。
68.65.67.64.66.64.71.67・・・
こんな感じで数歳若い。参った!
しかも、その肩書は立派だ。
会長はじめ、社長、相談役、特別顧問等々そうそうたるもの。

経団連だから当たり前といえばそれまでだが、皆、修羅場を乗り越えて今の立場にある人ばかり。
自分の年齢と比較し、世代は確実に次に移っていると感じられずにはいられない。

会社の後輩たちも60を過ぎて、あるものは退職し第二の人生へ。
あるものは会社に残り、要職へ。
しかし、役員になった後輩もすでに役員退任年齢を遥か前にすぎ、今は悠々自適というのが多い。

某先輩は定年して暫く会社勤めをした後、農業と環境の団体に入り、傍ら、俳句を長くやっている。
そして、70歳の時に「補〇線」という冊子(自分史に近い)を発行した。
100頁弱の立派な冊子だ。
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こんな立派なものは書けないが、ここに書く材料がたくさんあるというのは定年後も色々とやっていたからだろう。
経団連の委員のように日本を動かすことは全くもって無理だが、
万一、終活の一環として自分史を書くようなことがあったら
その材料がいくらかでもあればいいが・・・

まあ書か(け)ないな!
せめてこのブログがその代わりにでも・・・



by yahhosaito | 2019-02-13 09:35 | 日々 | Comments(0)

新春江の島

2019年1月27日。

予定の何もない日曜日。
午後から快晴無風なので久々に江の島方面に出かけたくなった。

宮古島から帰ったので、わが湘南の海も見てみたくなったのもある。
何せ電動自転車、バッテリーはほぼ満タンの90%を指している、
パワーモードで走っても40~50kmは走れるだろう。
江の島往復は40km位と思う。

日曜日の午後。
茅ケ崎に抜けるとすでに結構混んでいる。
思い思いの日曜日。
家族ずれも多い。
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波間にサーフィンも見える。水上バイクがうなりをあげている。
江の島では470がスイスイスイと走っている。
セールにinspire the nextの文字が。
さては日立ヨット部か!?

空気が澄んでいるせいか大島はもとより利島もかすかに見える。
城ヶ島もその先の房総も見える。
江の島から見る富士山も秀逸。
絵に描いたようだ。

ここから見る丹沢連山はわが地元からの姿とかなり違う。
大山が控えめで奥の丹沢や東丹沢の山並みがよく見える。
富士山の手前に矢倉岳、その左に金時山、明神明星と続き、神山、駒ケ岳そして伊豆連山に続く。
突端の石廊崎もくっきりだ。
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帰りは、同じ道の海岸サイクリングロードを引き返す。
行き、1時間、帰り1時間。
電動自転車のバッテリーは残り20%となっていた。

1月ももうすぐおしまい。
早い早い。





by yahhosaito | 2019-01-27 20:47 | 日々 | Comments(0)